Making One’s Mind Fine(人の心を調える)
(六四)
衆生をしつらひたまふ。「しつらふ」といふは、衆生のこころをそのままにおきて、よきこころを御くはへ候ひて、よくめされ候ふ。衆生のこころをみなとりかへて、仏智ばかりにて、別に御みたて候ふことにてはなく候ふ。 ( 「蓮如上人御一代記聞書」浄土真宗聖典 P.1252 )
(六四)
阿弥陀如来は、衆生を調えてくださる。調えるというのは、衆生のあさましい心をそのままにしておいて、そこへ真実の心をお与えになり、立派になさることである。人々のあさましい心を取り除き、如来の智慧だけにして、まったく別のものにしてしまうということではないのである。(‘ Making one’s mind fine’ does not mean that
the Tathagata makes one’s mind quite another thing by removing his evil mind and
changing his mind into only the Tathagata’s wisdom. )
【 「蓮如上人御一代記聞書」 (現代語版) 】 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽
信前は、信心をいただいたら凡夫の心は阿弥陀さまの智慧と入れ替わってしまうのだろうかと推測していましたが、全くの誤りでした。信心をいただいても、凡夫の心は凡夫の心のままだと教えられています。ただ違う点は、仏様の智慧によって、あさましい心が調えられて進ませていただくことができるということです。そのことが私の安心になるのだと知らされます。
※(「浄土真宗聖典」より)
しつらふ:調えること
よくめされ候ふ:立派になさることである