お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Light (光明)

 冬の終わりから春先にかけては、「光」が季節の中で最も敏感に感じられるように思います。じっと冬の寒さに耐えた後の春の光には、清らかな輝きと温かみがあります。    
 ここから、すぐに結びつくものは阿弥陀さまの「光明」です。この光明について、『浄土真宗聖典』には次のように書かれています。「仏・菩薩の心身に具わる光。迷いの闇を破し、真理をさとりあらわす仏・菩薩の智慧を象徴するもの。とくに阿弥陀仏については、『大経』に無量光などの十二光をもってその光明の徳が示されている」。             

 そして、この十二光について親鸞聖人は正信偈の中に「あまねく無量・無辺光、無礙・無対・光炎王、清浄・歓喜智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放ちて塵刹を照らす」と書いておられます。阿弥陀仏の光明には、衆生の迷いの闇を破り、明るい心にする働きがあることが明らかです。                              

 また、聖人の「浄土和讃」の中には次の御和讃があります。        
    一々のはなのなかよりは                     
    三十六百千億の                         
    光明照らしてほがらかに                     
    いたらぬところはさらになし                   
 ここで、「三十六百千億」について、「浄土の蓮華には百千億の花びらがあり、その花びらに青・白・玄・黄・朱・紫の六光があって相互に照らし合うから六六三十六の百千億の光になる。一即一切、一切即一という無礙の相をあらわしている」(浄土真宗聖典P.564)との説明があります。            
 光明の荘厳さに、ただ驚嘆するばかりです。(I can only admire the solemnity
of Light. )


 晴れた日には、冷たい風の中にも日差しの中に春が宿る昨今、このような意味合いを表現するのに、「光の春」という言葉があるそうです。阿弥陀さまの心身に具わる光明が、この世の「光の春」の中に、その光明の一端を具現しておられるような気がしてなりません。