お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Moment of Dying(死の瞬間)

 題名『死の瞬間』(著者:毛利孝一、1909年 – 2002年、内科医師)に引かれてこの本を読んでみました。                     
 この中で著者は自身の二度にわたるニアデス(臨死)体験から次のように書いています。「一般に死につきものの苦しくて暗くてまがまがしいイメージとはうらはらに、平和で安らかな死も世の中には多いのではないかと信じるようになった」            
 以下、毛利氏がそう信じるようになった経緯を大雑把にまとめてみました。    まず氏は心筋梗塞で意識不明に陥った時の体験を述べています。「最高血圧が80ミリ以下に下がりますと…… ときどきすうっと消えていきそうに意識がなくなりました。その時不思議なことに、ちっとも不安はなく、心は嘘のように平安でした。….. あの、ときどきすうっと消えていくようなときに戻らなければそのまましぬのだろう。それならば、死ぬということは、じつに楽なことではないか…… 」。そして脳卒中で倒れた時の体験でも言っています。「何かぼうっとして、雲にでも乗ったような気分だったことです。それもふわふわした羽根布団にでも包まれているように…… 全体の気分は何ひとつ苦痛もなければ不安もない、ゆったりした最上に安楽な解放された気持ちでした」

  
 次に、毛利氏が担当した多くの患者の、又さまざまな事故、外傷、病気、戦場等からよみがえった人々の体験談が紹介されているのですが、これらの人々も皆、一様に毛利氏と同じような体験をしているのです。おしなべて、その人たちに共通しているのは、苦しみなどは全くなかった。それどころか陶酔したように恍惚平安の心境だったというのです。    


 ではなぜこのような現象が起きるのか、という理由について、氏はエンドルフィンというホルモンとの出会いがあったことを記しています(このエンドルフィンは、現在では痛みを緩和する効果のあるモルヒネの6〜7倍の鎮痛作用があることがわかっているそうです)。氏は体が何か危機的状況に陥った時、エンドルフィンというホルモンが脳から血中に分泌され体内を巡ることによって、鎮痛作用が働くことを詳しく説明しています。この時の体内メカニズムについて他の資料から引用します。「老衰などによる自然死でも、事故死でも、戦場での戦死でも、体のメカニズムは一定の働きをするようである。人間が生命の危機に瀕し、ある一定の苦痛のラインを超えると、瞬時に苦痛から解放する自己防衛機能が作動し(エンドルフィンが分泌され)、逆に甘美な世界に誘うように作られている」

   
 このようなことから、筆者は死はおそらく苦しいものではないのかもしれない、という確信にも近い推測のもとに、もしそうなら、一般に死ぬ時は断末魔の苦しみが待っているだろう、と死ぬことに対して並はずれた恐怖や不安を持っている人たちの怖れや不安をいくらかでも軽くできたらいいということが、この本の執筆の主な目的であると述べています。


 さて、確かに死そのものは安楽なものであるなら、死という実体験そのものに対する恐怖はなくなり、ずいぶん安心できることでしょう。しかしこの臨死体験は、あくまでまだ生きている間、つまり今生に起きることです。仏教の観点からしますと、仏教で問題とするのは一息切れてしまった次の世のことです。即ち死後の世界を問題視しています。言いかえれば、問題は一息切れたその時から始まるのです。                     
 さらに、真宗の観点から見ますと、本当の安楽な死は今生で阿弥陀仏の救いに遇うこと以外にはありません。阿弥陀仏の本願に遇ってこそ、死そのものの恐れも、死後の世界の恐れも消滅します。          
( Furthermore, from the viewpoint of Shin Buddhism, the true peaceful death cannot
be obtained without the salvation by Amida Buddha in the present world. It is through
enlightenment by the Primal Vow that you are completely free from the fear of dying
and the world after your death.)                         
 故に死の瞬間が間違いなく苦しみのない安楽なものであるとしても、まだまだその段階に留まって安心していることはできないと言えます。

  
エンドルフィンの鎮痛作用については、柔道で「落ちる」とき、特高の拷問、キリシタンの火刑、「眠り産」、ランナーズ・ハイ、ロック・クライミング、その他の例を挙げて説明されているのですが、長くなるので触れませんでした。でもここで眠り産についてちょっとつけ加えておきたいと思います。なぜなら私は二度のお産で、二度とも同じ体験をして、不思議に思ってきたことがあるのですが、それがこの本により眠り産であると分かったからです。次はその体験です。「激しい陣痛が始まった時です。急に激痛がやみ、その瞬間スーッと心地よい眠りの中に引き込まれていきました。『あゝこのままずうっと眠っていられたらどんなにいいだろう』と思っていると、また急に痛みが差し込み、まどろみが破られ、現実に引き戻されてしまう。この繰り返しがしばらく続いたのでした」。あの眠っていたときに味わったとてつもない至福感、あれがエンドルフィンのしわざであったのか、と思います。この安楽の境地が死の瞬間に訪れるのなら、確かに死そのものは恐ろしくないでしょう。