Disowning(義絶)
親鸞の言葉66:親子の縁を切る
いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。(今は親と思うこともなく、子と思いも断ちきりました。)(『親鸞聖人御消息』第九通)
この手紙は慈心房(善鸞)義絶状ともいわれる。多くの同胞のため、晩年の親鸞はみずからの息子である善鸞を関東へと送り出した。しかし息子は徐々に親鸞の教えと異なるものを広め始め、関東の同朋たちに大混乱を招いた。
その結果、84歳にして親鸞は息子を絶縁せざるを得なかったといわれている。
同朋を惑わせてしまったこと、送り出した息子が変わってしまったこと。家族をもった僧・親鸞ならではの苦悩がここにある。
【 『親鸞100の言葉』 釈徹宗監修 宝島社 】
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世間的な事柄で我が子を勘当するということは、ままあることでしょう。でも、事は仏教に関することです。聖人の教えられなかったことを、善鸞が「父が夜私一人に教えられたことだ」などと人々に言い触らし、人々を混乱させたといわれます。そのために善鸞を義絶せざるを得なかった聖人の心は、いかばかりであったでしょう。しかし、このことによって、聖人の教えが正に真実であるということが返って鮮明になります。
84歳という高齢の聖人に起きた事件です。厳しい人生を弥陀の本願一つを広めるために歩まれた聖人の崇高な姿勢がひしと伝わってきます。
いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。
( From now on there shall no longer exist parental relations with you; I cease
to consider you my son. )