お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

信心は頂き物 ( Shinjin Is a Present )(2)

 この信心は自分の努力で掴(つか)んだものではありませんから、100パーセント阿弥陀如来からの賜り物です。変質したり無くなったりするものではありません。生涯煩悩を断つことのできない凡夫の身であっても、その信心を獲(え)ることによって“正(まさ)しく仏になる身に定まった仲間”にならせていただくのです。油断したからといって、もとの凡夫にもどることはありません。阿弥陀如来智慧の光に照らし出されて明らかになった、罪悪深重のわが身を慚愧(ざんぎ)しつつ、そのわたくしを決して見捨てないお慈悲を仰いでいく感謝の日暮らしです。いつ、どのような臨終を迎えても心配はなく、あわてる必要もありません。そして、この世でのいのちが尽きれば、直ちにお浄土に往生して阿弥陀如来と等しいさとりを開き、仏に成らせていただくのです。“一寸先は闇”どころか、明るい未来への展望、そして確かな方向性が定まれば、安心したよろこびの人生が開けてきます。ただただ阿弥陀如来に報恩・感謝のお念仏を申すばかりです。                

  【 『「拝読 浄土真宗のみ教え」の味わい』 藤井邦麿 本願寺出版社 】    

 

 上記の内容をまとめてみました。                         

(1)信心は阿弥陀如来からの賜り物である。___ 変質したり無くなったりしない。    

(2)“正しく仏になる身に定まった仲間”にならせていただく。            

                  ___ もとの凡夫にもどることはない。    

(3)お慈悲を仰いでいく感謝の日暮らしである。                           

(4)どのような臨終を迎えても心配はない。___ 死の不安は一切ない。      

(5)命が尽きれば浄土に往生して仏にならせていただく。              

(6)“一寸先は闇”どころか ___ “一寸先も光”である。            

(7)ただただ阿弥陀如来に報恩・感謝の念仏を申すばかりである。          

 「上記の記事からは、喜びが沸々と涌いてきます( From the above article,

joy wells up in my mind.)。」なお、(6)の“一寸先も光”という言葉は手品師さん作です。この表現、いいですね~。

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