因果の法則 ( The Laws of Cause and Effect )
ものごとにはすべて原因があり、そこに縁が働いて結果が生じるという因縁と縁起はブッダの理論の本質を示すものです。
それは、よくモミと米の関係にたとえられます。モミは、そのままでは米になりません。苗床に植え、田んぼに移し、雑草や害虫、暴風雨にダメージを受けないように守り、さらに太陽の光を受けることで米が実るようになります。因縁はモミであり、結果は米です。
米が実るようにする外的な要素、つまり、苗床から太陽に至るさまざまな条件が縁起です。
因縁も縁起も目には見えません。しかし、二十四時間、片時も休むことなく働き続け、私たちの人生を変えているのです。
円覚寺の管長だった吉川尭道(ぎょうどう)老師は、常々こう言っていました。
「若い時に不陰徳をした人の晩年は必ず悪い」
つまり、陰で悪事や不道徳な行為を重ね、「ばれないからいい」「実際に悪い報いがないじゃないか」とたかをくくっていても、因果の法則から逃れることはできず、いつかはツケを払わされるというのです。
(略)
『ダンマパダ』にもこうあります。
「もし悪をなすならば そは業(ごう)に積まれ
もし善をなすならば そも業に積まる
人は業を受け継ぎ 業は滅びることなし」
(略)
一方で、縁起因縁の関係があるからこそ、私たちは変わることができ、運勢を転換することができるのです。そうでなくては、人生はすべて生まれた時に決まっているという宿命論が幅をきかせることになります。
ブッダは、宿命論は間違っている、人生は自分で決められるということで縁起の法則を説かれたのだとも思います。
【『イヤな思いがスーッと消えるブッダのひと言』 高田 明和 中経の文庫】
仏教は、身(身体)・口(言語)・意(心)の三つの行為(三業)が未来の苦楽の結果を導く働きをすると説いています。つまり、私たちのなす善悪の行為は、因果の法則(道理)によって後に必ずその結果を生むというのです。善因善果、悪因悪果ということです。
「縁起因縁の関係があるからこそ….. 」とありますように、「善い行いをすることによって悪い運勢を転換することができます (We can change our fortunes by doing
good deeds.)。」 ですので、「ブッダは、宿命論は間違っている、人生は自分で決められるということで縁起の法則を説かれたのだとも思います」に、同感です。