仏とは? (What Is a Buddha?)
仏さまはどんな方であろうかということは、今日、次第にわかりにくくなってきているといえると思います。 (略)
困ったことは、仏という言葉を、全く違った意味に使う世の中の風潮があって、人間の遺体、亡くなった方の身体を、仏と呼ぶ習慣が非常に強いことです。誰でもいのちを終えたら仏さまになるといい、あるいは、仏さまを礼拝するのか祖先を礼拝するのか区別がつかなくなっている人がいるのです。これは、日本に顕著なことですが、仏さまといっても、皆さんがそれぞれにお考えになる、こころに浮かべられることは、違うのではないかと思うのです。そういう意味で、基本をしっかりと押さえておく必要があるのではないかと思います。
ホトケという言葉は、中国で仏という漢字に当てられたものを、日本でホトケさまと申しているわけです。インドでは、ブッダと呼ばれ、真理、真実に目覚めた人という意味です、私たちが、如来と申している阿弥陀さまも、もとはやはり、インドの言葉で、真如からやってきた方、真実からやってこられた方という意味です。死んだ人を仏というわけではありません。広い意味で、さとりを得られた方がいのちあって活動を続けている姿、真実に目覚め、真実からやってくるという活動的な姿を、仏さまという言葉であらわしている、といっていいと思います。
私たちにわかる限りで、歴史上にあらわれた、ただ一人の仏さまが、お釈迦さまです。釈迦牟尼仏とか、釈尊、釈迦如来と申していますが、いわゆる歴史上の実在の仏さまとして、私たちは崇め讃えています。
【 『すくいとよろこび』 大谷 光真 】
ここに大谷師が言っておられますように、「困ったことは、誰でもいのちを終えたら仏さまになる」と思っている人が非常に多いという事実です。私もこれまで、「死んだら仏」という言葉を何度も聞いてきました。非常に残念なことであり、「(仏とは何か)という基本をしっかりと押さえておく必要がある」と思います。
仏とは「真理、真実に目覚めた人」という意味です。つまり『広辞苑』にもありますように、「悟りを得た者(=仏陀)」という意味です。「歴史上にあらわれた、ただ一人の仏さまは釈迦如来であり、その根本には阿弥陀如来がおられます」。
決して「誰でも死んだら仏」とは言えないという認識を新たにしたいものです。(We
should have a full realization that everyone cannot be a Buddha after their death.)