お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

私はいつでも傍にいる ( I’m Always by You ) 

 一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、その一人は親鸞なり「御臨末御書」(一人で仏法を喜んでいる人は、二人と思い、二人で仏縁を喜んで いる人たちは三人と思ってください。そのもう一人は親鸞です)            

 四国の八十八ヵ所をめぐって歩くお遍路さんたちは、かぶっている笠の上に、必ずといってよいほど“同行二人”という文字を書いていますが、これは、“常にお大師さま(弘法大師空海)と一緒”という意味です。                         

 親鸞の場合も同じで、同じ信仰を持っている人たちのそばには、いつも“わたくしが”いますよ、という意味から、このような言葉を遺したものと思われます。         

 『仏説無量寿経』の中に、「独生 独死 独去 独来」とありますように、確かに人生というのは、たった一人で生まれ、生きていかなければならない孤独なものではありますが、だからこそ、                                   

 “わたくしはいつもあなたと一緒ですよ”                     

 というこの言葉は、どんなに頼もしく力強かったことでしょう。手を取り合って苦楽を分かち合う人生、ということなのです。                        

     【 『親鸞の人生訓』  花山 勝友  PHP  】             

 

 人は、本来孤独です。誰に教えられるまでもなく、一人、一人がこのことを一番よく知っています。この孤独な人生において、「親鸞聖人から直接『わたくしはいつもあなたと一緒ですよ』と言われた当時の人たちはどんなに頼もしく思ったことでしょう(The people in those days who were directly told, “I am always with you,” by Saint Shinran,

would think his words very reliable.)」。                       

 でも、これは決して当時の人たちばかりではありません。親鸞聖人は、今も阿弥陀如来から与えられた還相回向のお働きにより、菩薩の相を現して私たちの身の回りに来ておられるからです。そして、私たちを導いて下さっています。私たちは当時の人たちと同じ境遇にあるといってもいいでしょう。とても力強いことです。