お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

裸で生まれ、裸で死んでいくのが人間 ( It Is Man Who Is Born and Dies Naked ) 

 自分は学歴も、地位もないと嘆く人がいます。しかし、それがどうしたというのでしょう。

   (略)                                   

 人間はオギャーと生まれたときは、文字どおり裸です。何も身につけずに、お母さんのお腹の中から生まれてきます。生きている間に、努力して出世し、お金を儲け、多くの財産を手にしたとしても、逝くときはそれらを置いて逝かねばなりません。生まれてきたときと同様、死ぬときも裸で死んでいくほかないのです。                   

 学歴、地位、肩書きなど、後から付随したものによる人間の違いにとらわれてしまう意識は、結局、空しさを生むだけなのです。後から付随したものの違いを嘆いて、「私はこういう人間です」と自分で自分を狭く決めつけるのは非常にもったいないことです。自分では気づいていないだけで、目に見えない可能性をたくさん持っています。それも含めて自分という人間のすべてだと思えれば、可能性はあることに気づけるのではないでしょうか。   

 【 『人生は価値ある一瞬(ひととき)』 大谷光真西本願寺門主) PHP  】   

 

 人は誰でも一人一人が与えられた大切な命を持っています。ここで言われていますように、生きている間に地位や名誉を得る人もあるでしょう。そのような人を見て、自分はそうでないと思い卑下することは、非常にもったいないことだと言われます。銘々が自分の目に見えない可能性を持っているのであり、その可能性に気づくことだと。         

 ところで、その可能性とは一体何なのでしょう。たとえ財産や地位等、この世の多くを得たとしても、それらはすべて、死んでいく時には置いていかなければなりません。   

 ですので、私のような仏教信者からしますと、人間として生まれなければできないこと、つまり人間界でできる可能なこと、とは仏教を聞くことだと考えます。このことに気づくことが大切ではないのかと。                             

 「仏教を聞き、阿弥陀仏から頂く信心、それは死なない命を頂くことになるのですから、一番大切なことではないでしょうか。( Shinjin we are given by Amida Buddha by hearing the Buddhist teaching is to get the immortal life. That’s why I think it is the most

important thing. )」