お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

信心決定ということ (What Is the Realization of Shinjin) 

 信心決定ということは、どんな人生の苦しみの中においても、如来に守られているという深い安心です。この決定がないと信心とは言わないのです。如来の本願を信じるとは、どんな絶望の中でも生きてゆけるということです。絶望とは自分の前にドアが閉まっていて向こうへ行けないという状態です。けれども、信心ということは、ウイリアム・ジェイムズが『宗教的経験の諸相』(1902年)の中で言ったように、すべてのドアが開いて、すべての道が平坦になったということです。私の人生に行き止まりというものはない。つらい病苦の中でも生きていけますということは、摂取して捨てないとおっしゃる如来さまに守られているということです。                                

   【 『浄土の哲学 高僧和讃を読む 上』 大峯顯 本願寺出版社  】     

 

 「信心決定ということは、どんな人生の苦しみの中においても、如来に守られているという深い安心です」                                 

 具体的には、どんな絶望の中でも生きてゆけるということ、人生に行き止まりというものがないこと、病苦の中でも生きていけるということ等が挙げられています。       

 いずれにしましても、如来に守られているのですから、深い安心、つまり、無比の安心ということです。( We all are protected by the Buddha, so we feel deep relief, that is to say matchless peace. )