お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

五劫思惟の願 ( The Vow Considered for Five Kalpas )

 Q 阿弥陀仏法蔵菩薩)の本願のことをよく「五劫思惟(しゆい)の願」といわれますが、どういう意味を表しているのですか。
 A 先にもうしたように、法蔵菩薩は、仏のさとりの領域が、そのまま衆生を迎え取る浄土となるような最高の仏国を建立し、さらに誰でも歩める究極の易行であると同時に、最高の徳をもっている称名念仏を往生の行として選び定め、生きとし生けるすべてのものを救おうという誓願を起こされましたが、五劫もの間、考えをめぐらされたということです。
 Q 五劫とはどれほどの時間をいうのですか。
 A 五劫の劫とは、カルパ(kalpa)の音訳語で、想像を絶する長い時間を表す時間の単位です。それにも盤石劫(ばんじゃくこう)とか、芥子劫(けしこう)とか、塵点劫(じんてんこう)というような異説がありますが、一番良く知られているのは盤石劫です。『大智度論』(だいちどろん)によりますと、縦・横・高さが、それぞれ四十里もある巨大な岩がある。そこへ、百年に一度ずつ天人が舞い降りてきて、その薄くて軽い羽衣(はごろも)で、一度だけ岩に触れるために、その巨岩が磨滅(まめつ)してなくなってしまってもまだ一劫にはならないほど長い時間であるといわれています。五劫とは、それを五回繰り返すのですから、私どもの想像を絶する長い時間を表しています。
    【 『親鸞聖人の教え・問答集』 梯 實圓  大法輪閣  】

 上記に、「四十里もある巨大な岩」とありますが、一里は約4㎞ですから、その岩は、縦・横・高さがそれぞれ40㎞もある巨大な岩です。このこと、一つから考えましても、一劫という時間の長さがどれほどのものであるか、ましてや、五劫ともなれば人知では想像すらできない長い時間です。正に阿弥陀仏は、無始(始めのない、限りなく遠い過去)よりこのかた、「生きとし生けるすべてものを救おうと考えをめぐらされた」ことが分かります。
 「阿弥陀仏の「五劫思惟の願」の背景にあるご苦労の、ほんの一端を垣間見させていただいた気がしています。( I feel I have had the honor of getting a glimpse of Amida
Buddha’s part of troubles which is at the back of the Vow considered for five kalpas.)」