神棚を置かないのはなぜか?
諸神・諸仏・諸菩薩をかろしむべからず。(「御文」)
浄土真宗は、阿弥陀如来一仏を本尊とするので、他の神仏をたのむ必要はない。よって、阿弥陀如来を安置する御内仏(おないぶつ)があれば、神棚もまた必要がないこととなる。
しかし、阿弥陀如来一仏のみを信じるからといって、決して他の神仏をないがしろにしていいわけではない。
前掲の通りに浄土真宗の門徒を戒めて、蓮如上人は「御文」第二条第三通に、
「信心無き衆生がむなしく地獄に墜ちるのを悲しんで、なんとかして救おうとしてかりそめに仏となって、些細な縁をたよりとしてでも、仏法に勧め入れるための方便として、仏が神となってあらわれた(趣意)」
と記している。つまり、他の神仏もまた、私たちを念仏へと導くための化仏(けぶつ)として丁寧に取り扱うべきである。
【 『ここがわからん 浄土真宗』 大法輪閣編集部 [編] 】
「浄土真宗は、阿弥陀如来一仏を本尊とするので、他の神仏をたのむ必要はない。(There is no need for Shin Buddhism to rely on other God or Buddha, because it makes
only Amida Tathagata the principal image. )」と言われます。
ですから、仏壇のある家には、神棚を置く必要はないと思われます。しかし、「決して他の神仏をないがしろにしていいわけではない」との言葉に気を配りたいと思います。