お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

なぜ『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を唱えないのか?

 浄土真宗では「読経」を、功績を積むためのものではなく、信心をいただいた者が「仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)」すなわち仏さまの救いに感謝し、讃(たた)えるために行うものとする。

 しかし『般若心経』には、ご本願も念仏も、阿弥陀仏のことも説かれていない。仏徳讃嘆としては、宛名の異なる経典になってしまうので、『般若心経』だけでなく、阿弥陀仏の救いを説かない経典は、阿弥陀如来に向かって読誦されることがない。

     【 『ここがわからん 浄土真宗』 大法輪閣編集部 [編] 】

 

 「浄土真宗での「読経」する意味がきちんと書かれています( In Shin Buddhism, the

meaning of a sutra recitation is written properly.)」「『般若心経』だけでなく………….

………………. 阿弥陀仏に向かって読誦されることがない」の部分からは、当然のことではないかと思われます。

「般若心経」 [百科事典マイペディア]

 大乗仏典の一つ。玄奘(げんじょう)訳では262字。最も短い経典であるが、諸法皆空の般若心経の要点を最もよく表現している。<色即是空(しきそくぜくう)・空即是色>の名句があり、古くから日本の在家(ざいけ)信者にも読誦(どくじゅ)された。