親鸞聖人はなぜ『教行信証』を書かれたのか?
仏教のお経は、大量に存在する。そのため、それらをどう整理し、何が重要であるかを示す必要性が生じた。
親鸞聖人のみならず、各宗派の祖師方は多様な数多くの仏典を引用し、仏教全体を総合的に理解しつつ、それぞれの教義の正当性を明らかにしていった。
親鸞聖人の『教行信証』も、同様の性格を持つものとうかがえる。
しかし、親鸞聖人にとって、『教行信証』は、ただ教義の正当性を立証するだけの作業ではなかった。
親鸞聖人は、最後まで『教行信証』に加筆され続けたのであり、阿弥陀如来の救いを、多様な仏典に依りながら確かめて頷(うなず)いていくという、信心を喜ぶ生活そのものであったのだろう。
【 『ここがわからん 浄土真宗 』 大法輪閣編集部[編] 】
過去に、各宗派の祖師方による経典の整理があったということを初めて知りました。親鸞聖人も例外ではなかったのですが、聖人にとっては「ただ教義の正当性を立証するだけの作業ではなかった」のです。
聖人が、『教行信証』に加筆された文面の写真を何度か目にしたことがあります。上記の如く、「親鸞聖人の生涯は信心を喜ぶ生活そのものであった(Saint Shinran’s life was an everyday life itself for him to be pleased at shinjin.)」のだろうことが窺えます。