「悪人正機」とは
「悪人正機」について [ マイペディア百科事典 ] にはこのように書かれています。
「浄土真宗の開祖親鸞の根本思想。『歎異抄』に < 善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや > とある。善人(自力作善の人)は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうとする気持ちが薄いが、煩悩にとらわれた凡人(悪人)は仏の救済に頼るしかないとの気持がつよいため、阿弥陀仏に救われるとした。すべては阿弥陀仏の本願によるとの絶対の他力思想につながる」。
ここで、「悪人」とは「煩悩にとらわれた凡夫」とい意味で捉えられています。
また、『浄土真宗聖典』補注3(用語解説)P.1557 には(口伝鈔・19)に書かれている「正機たる悪凡夫(悪人)」について、次のように説明されています。
「正機たる悪凡夫(悪人)」とは法(阿弥陀仏の救済)の正(まさ)しきめあてが、悪人(罪業深重の凡夫)であることをあらわす」。
以上より、「悪人正機」とは、「罪悪深重、煩悩具足の私たち凡夫が、正に、阿弥陀仏の救済のお目当てである」ということです。
当ブログ、前回の「悪人」の意味が詳しくなかったと思いましたので、今回、「悪人」について集中して書きました。
※ 悪人正機 ( We sentient beings who have great sins and blind passions are the
sure object of the salvation of Amida Buddha. )