お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

どんな一日もよき一日 ( Any Day Is a Good Day )

   日日(にちにち)是れ好日 / 録碧巌(へきがんろく)

 「一五日已前(いぜん)は汝に問わず、一五日已後(いご)、一句を道(い)い、将(も)ち来(きた)れ(昨日までのことは問うまい。いま、お前たちはどう生きるのだ)」

 雲門文偃(うんもんぶんえん)は、僧たちに向かって問いかけます。恐らく僧たちは何も答えなかったのでしょう。その問いに、僧たちに代わって自分で答えたのが」「日日是れ好日(毎日を好日にしなさい)」という言葉です。

 好日とはいい日、吉日ですね、

 私たちの人生は、好日ばかりではありません。好日と悪い日があるのは当たり前であり、必ずしも同じ割合でやってくるものでもありません。なかには、ほとんどが悪い日だと感じている方もいらっしゃるでしょう。

 実際、毎日を好日に変えることはできません。しかし毎日を好日と考えることはできます。

 つまり、どんな毎日も否定しないということです。病気の時はうんうん苦しみ、楽しいときは、思いっきり笑う。それが日日是れ好日なのです。

  【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修]  成美文庫  】

 

 「毎日を好日に変えることはできなくても、毎日を好日と考えることはできます(Even

if we cannot change every day into a good day, we can think it a good day. )」とあります。なるほど見事な捉え方だなと思いました。具体的には「どんな毎日も否定しないこと」とありますが、楽しい日も、また、たとえ病気で苦しい日であっても、それを受け入れていくこと(否定しないこと)が日日是れ好日だと言われます。諦観( [仏] 明らかに真理を観察すること。物事の本質を見きわめること。)という境地になることかな、とふと思いました。