始める時は、今 ( It Is Now or Never )
更にいずれの時をか待たん / 典坐教訓
「他は是れ吾れにあらず(他のことは私の仕事じゃないよ)」
と老転座に言われた道元ですが、なおもこんな質問をしています。
「こんなに日差しが強いのに、なぜそんなご苦労をなさろうとするのです」
それに対して、老転座が答えたのがこの言葉です。
いまをおいて、他にいつ、私はこの仕事をやることがあるのかね。そんな意味になります。
ひとりの老後を過ごしていると、つい「時間はたくさんあるのだから何もいますぐやる必要はない」と考えてしまいがちです。しかし「後で、後で」と先送りばかりしていると、結局はやらないままに終わってしまうことも多いものです。
いまという時間は、いまのためにあります。
歳を取ったいまだからこそ、できることがあります。幸せも、喜びもすべてはいまからはじまるのです。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修] 】
上記の「典坐(てんざ)」は『広辞苑』によりますと、「禅寺で、食事などの事をつかさどる役僧」のことです。
今回のタイトル「始める時は、今」から思い浮かぶ短歌があるのですが、それは「世の中は今よりほかはなかりけり、昨日は過ぎつ明日は知られず」という歌です。言うまでもありませんが、既に過ぎてしまった昨日には戻れないし、一寸先は闇の世ですから、明日がある保証はないからです。これがこの世の厳しい現実であり、老若男女を問わず誰にも当てはまることです。
ですので、始める時は「今」しかありません。「今」を大事にしたいですね。
※ 世の中は今よりほかはなかりけり、昨日は過ぎつ明日はしられず。 (The world
has nothing except now, yesterday has already passed and there is no knowing what
will happen tomorrow. )