求めないことが布施になる ( It Is an Offering to Others Not to Demand )
布施というは不貪(ふとん)なり。不貪とは、むさぼらざるなり / 道元
仏教では「布施」を実践すべき徳目として薦めています。他人に施しをするというのが布施なのですが、金品を施すだけが布施ではありません。「和顔愛語」もまた布施の一つです。
自分が手に入れないことも布施である。そう説いたのは道元です。「布施というは不貪なり」というのはまさにそういうことで、必要以上に求めないことが、相手に施すことになるということです。
たとえば電車で席を譲るのは布施ですが、正直タイミングが難しいものです。道元の布施とは「自分が座らない布施」です。自分が座らなければ、相手に座ってもらうことができる。それが布施になるということです。
何かを求めたり期待するのではなく、相手が笑顔になることを考える。相手が感謝してくれなくても、布施の心で付き合う。
人間関係もそのように心がければ、相手も自分も気持ちよくなってくるのではないでしょうか。 【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 】
仏さま方は布施の気持ちを大切にされました。もし、施す財物がないとしても、上記に書かれていますように、電車で席を譲るのも「自分が座らない布施」だといわれます。因みに仏教では「無財の七施(財物がなくてもできる七つの布施)が説かれています。その中で、席を譲るのは「牀座施(しょうざせ)」という布施です。
私たちは、人に物をあげた時、その見返りを求めることがよくありますが、仏さまの説かれる布施とは、見返りを求めない布施であることは言うまでもありません。そうすることで、お互いに気持ちよく歩んでいけるのではないでしょうか。
※ 布施というは不貪なり。不貪とは、むさぼらざるなり( An offering is freedom from
avarice. Not to be greedy is not to devour. )