お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

信心が起こったその時罪が消える (Just When You Rearise Shinjin, Sins Vanish)

 順誓(じゅんせい)が蓮如上人に、「信心がおこったそのとき、罪がすべて消えて往生成仏すべき身に定まると、上人は御文章にお示しになっておられますけれども、ただいま上人は、命のある限り罪はなくならないと仰せになりました。御文章のお示しとは違うように聞こえますが、どのように受けとめたらよいのでしょうか」と申しあげました。すると上人は、  「信心がおこったそのとき、罪がすべてみな消えるというのは、信心の力によって、往生が定まったときには罪があっても往生のさまたげとならないのであり、だから、罪はないのと同じだという意味である」(といわれました)。(『蓮如上人御一代記聞書』三五より)

 

 蓮如上人は、「罪はないのと同じであるという意味を、往生が定まったときには罪があっても、往生のさまたげにならないからである」と示しておられます。

 そして、上記に続いて、罪があるかないかを論じるよりは、信心を得ているか得ていないかを何度も問題にすべきであると諭されています。また、罪が消えてのお救いであろうと、罪が消えないままでのお救いであろうと、それは阿弥陀さまのお計らいであり、私たちが計らうべきことではないとも。

 以上より、ただ信心を得ることが如何に大切であるかが、心に深く感じられます。(From the above content, I feel deeply how important for us to only rearise shinjin. )