お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

私たちの日常生活 ( Our Daily Lives )

   「殺」の上に成り立っている日暮らし、

   それがわたしたちの日暮らしである。広瀬 杲

 仏教では、自ら殺すのと、他人に殺させるのと、どちらが罪が重いかと問います。また、知っていて殺すのと知らずに殺すのと、どちらが罪が重いかと説きます。常識的にみれば、自ら殺す方が悪い、知っていて殺す方が悪いと思うでしょう。しかし、仏教では、他人に殺させ、また知らずに殺す方が「殺」に対する自覚が乏しいので重いと説くのです。食卓に出された魚・肉を見ても「殺」に対する意識はないと思います。わたしたちが口に入れることのできるものは、もと皆いのちのあったものです。たとえば、牛は牛肉処理場で殺され、その牛を他人に殺させておいて平気な自分です。そこに牛の命を見出せない。そうした無自覚の人々の生き方が、多くの差別を生み出しています。これらの無自覚な人に対して、広瀬 杲(ひろせたかし)先生は、「殺」の上に成り立っているのが日常生活である、そのことを自覚せよと言われます。

     【 『ひとくち法話』   中村 薫   法蔵館   】

 

 私たちは、多くの動物を殺し、それを食糧としながら生きています。実に、ここで述べられていますように、無自覚で「殺」の上に成り立っているのが私たちの日常生活です。

 ところで、仏教では、三つの行為(三業)が説かれています。具体的には身(身体)・口(言語)・意(心)の三業です。この行為が未来の苦楽の結果を導く働きをしますので、善悪の行為は因果の道理によって必ずその結果を生むと教えられています。『広辞苑

 ですので、「殺」を免れないまま、私たちがこの世で生を終えるとすれば、悪因しか生じない未来が待っています。

 しかしながら、このような日常生活を脱するには結論として申しますと、阿弥陀仏の救いに与ることです。

この世での救いを教えているのが仏教ですから、必ず明るい未来が開けるのです。(It is

Buddhism that teaches enlightenment in this world, so it is sure that bright future

opens up. )