お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

永遠の命に遇って帰依する ( To Meet Eternal Life and Become a Buddhist )

   限りないいのちに遇って

   限りある身を尽くす   (金子 大榮)

 仏教では、無量寿なるいのちを説きます。南無阿弥陀仏とは、無量なるいのちと光を持った仏に絶対的に信頼して帰依する名告(なの)りです。ところが、われわれ衆生のいのちは限りある身を持った寿命であります。われわれは、生・老・病・死の四苦そのものの中に生きている人間です。

 お釈迦さまが、お弟子に「あなたは、あと、どれくらい生きられますか」と質問されました。最初のお弟子は、「来年のいのちは分かりませんが、今日一日は大丈夫でしょう」と答えました。するとお釈迦さまは、「あなたは分かっていません」と。二番目のお弟子は、「いま食事をしているこの一時は大丈夫です」」と。お釈迦さまは、「あなたも分かっていません」。三番目のお弟子は、「阿吽の呼吸の間です」と答えました。お釈迦さまは、「その通りだ。いのちはほんの「一瞬である」と答えられました。

 だから念仏とは、限りあるいのちを持ちながら、永遠なるいのちに帰依することです。限りないいのちによって誕生し、限りあるいのちを生き、また限りないいのちに帰っていく。それを金子大榮先生は、「限りないいのちに遇って限りある身を尽くす」と、限りある身の事実に樹(た)つことを教えてくださっているのです。

     【 『ひとくち法話』   中村 薫    法蔵館  】

 お釈迦さまは、人間の命は、ほんの一瞬であると教えておられます。この一瞬の命で何をするかが問われています。金子大榮氏は仏の教えを聞いて、永遠なる命に帰依すること。即ち「限りない命に遇って限りある身を尽くす」ことだと教示されています。

 一瞬の命、まず第一に自覚しなければならない、とても大事なことです。( Man’s life is momentary one. First and foremost, it is very important thing for us to be conscious of.)