お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

無常だからこそ ( Simply Because It Is Mutable )

   無常だからこそ 今日一日がありがたい ( 伊奈教雄 )

 お釈迦さまは、無常を説かれました。この世のすべて、常なるものは何もない。人間も生まれた以上は必ず死ぬのです。生きていれば年をとります。どんなに元気であっても病気になることがあります。生・老・病・死の四苦は、誰も逃れられない現実です。

 一般的に、お釈迦様は「いのちを大切に」とか、「人間に生まれたことを喜びなさい」と説かれたと思っている人も多いかもしれません。それはあながち間違いではありませんが、そのようには説かれていません。初めから人生は喜びいっぱいであるというよりも、むしろ苦を背負って生まれてきたのが人間であると説かれています。

 お釈迦さまは縁起の理法を説かれたのです。ものは縁により起こり縁により滅していくのです。わたしたちは分別により、好き嫌い、損だ特だ、良いか悪いか、と計算して生きています。だからこそ、そのような執着から解放され、今いのちをいただいて生かされてあることが尊いと言えるのです。真宗大谷派僧侶の伊奈教雄(いなきょうお)さんも、無常だからこそ、今日一日生かされてあるいのちがありがたく、尊いと言われるのです。

      【 『ひとくち法話』  中村 薫   法蔵館  】

 一日一日が無常だからこそ、今日という日がなお一層ありがたく、大切に感じられます。

 苦しむ衆生の姿を見て、仏さまは必ず救うという本願を立てられました。そして、現在もなお、衆生済度に活躍されているのです。

 そのお働きに感謝して、今日一日を過ごしたいと思います。( I’d like to live today being thankful for the working of the Buddha.)