今日一日を無駄に過ごすことは ( To Waste a Day of Today )
一日の空過(くうか)はやがて 一生の空過になる (金子大榮)
時間は、人々に平等に与えられています。その時をどのように有効に使うかは、その人によるでしょう。
子供の頃は、時はとても長く、その流れは遅く感じました。早く大人になりたいと思っていました。ところが、還暦を過ぎたいま、時がとても短く、早く感じるのは私だけでしょうか。老いを迎えて、与えられた時間をどう過ごすかは大変大事な事柄となってきました。寿命が百年時代と言われると、ありがたいけれど、何をして日暮らしをしたらよいか見つからない人もいると思われます。年金も少なくなると不安になります。
人は、生涯において、若いときにしなければならないこと、また、年をとってからしなければならないこともあるでしょう。しかし、何(いず)れにしても大切なことは、今何をなすべきかを知ることです。今できる仕事が見つかった時、人は今を充実して生きていけるのです。金子大榮先生は、一日一日が大切であり、今日一日を無駄に過ごすことは、やがて生涯が空しく過ぎてしまうと言われます。明日の希望と夢は、今を生きることから始まるのです。
古歌の(詠み人知らずの歌)に、「世の中は今日よりほかは無かりけり 昨日は過ぎつ明日は知られず」、という歌があります。
また、「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」、という歌は親鸞聖人が9歳で出家された時に歌われたものです。
両方の歌共に、今日という一日が如何に大事かということを知らしめています。このように、仏教では無常を歌った歌が数多く残されていす。
今日しかない、もっと尽きつめれば、今しかないということです。上記にありますように、「一日一日が大切であり、今日一日を無駄に過ごすことは、一生の空過になる」と金子大榮氏は警鐘を鳴らしておられるのです。