お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

無縁の慈悲( The Irrelevant Mercy )

 先日、線路で倒れていた男性を助けようとした40歳の女性が列車にはねられて亡くなった。この女性は、手を伸ばす時「大丈夫」とは思っていなかっただろうし、自分の命が危ないとも感じなかっただろう。計算や感情は無しに、ただ目の前の命を助けようとしただけだろう。如来の無縁の慈悲を思う。親鸞聖人は「少慈少悲もなき身」と言われる。あらためて自分を省みて、御仏の教を聞いていこう。 (滑川市 中央仏教学院通信教育同窓会富山支部会員 樋口治美)

     【 明日をひらく『 一期一話 』  北國新聞社  】 

 

 無縁の慈悲;あまねく一切衆生に、苦を抜き楽を与えようとする仏の大慈悲『広辞苑』。

  筆者が言われるように、男性を助けようとしたその時の女性の感情には、自身の損得を計算して助けるという思いは一切なかったでしょう。例え無縁の人であれ、有縁の人であれ。

 仏さまの慈悲は、無関係の(無縁の)人も、縁のある人も、全ての人を助けるという大慈悲なのです。「如来の無縁の慈悲を思う」、という言葉に、ただ感謝の気持ちが湧いてきます。