自灯明・法灯明(One’s Own Light ・ Buddha–dharma Light )
玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)師の「成り行きを生きる」という言葉を聴いて、私は「結果を生きる」ということだと思いました。
とりもなおさず、「自覚」すること。自分は何者であるのか。朝夕のお参りの時、仏を鏡として自分を深く見つめ直す。そして、前に一歩踏み出す。
お釈迦様が亡くなるときおっしゃった「自灯明、法灯明」を頼りにしながら。(富山市 真宗大谷派正願寺坊守 永井易子)
【 明日をひらく 『 一期一話 』 北國新聞社 】
「自灯明・法灯明」[仏] よく整えられた自らを拠りどころとし、正しい教えを拠りどころとすること。涅槃経によれば、釈迦入滅時の最後の教え。『広辞苑』
このように、「自灯明」とは、自らを頼りとして、他を頼りとしないこと、「法灯明」とは、法を頼りとして、他のものを拠りどころとしないことです。
このことは、自分をともしびとし、拠りどころとするだけでなく、この自分を支えてくれるものは法であり、真実の教えであることを示しています。
筆者であられる坊守の永井師は、このことをしっかり踏まえて進んでおられます。見習いたいと思います。