人は何をするかわからない危うさを持っている ( Persons Have Danger not to Know What They Do )
さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまひもすべし(歎異抄)
私たちは自分の行いを自分自身で決定していると思いがちです。たとえば今現在、悪事に手を染めていないのは、自分が善人だからと思ったりしていませんか。
しかし、「しかるべき縁があれば、人はどのような振る舞いもしてしまう」という親鸞の言葉の通り、私たちの誰もが縁によって悪に手を染めることもあります。これまで大きな罪を犯していないのも、ただ縁がなかっただけだからなのです。
この世にいる限り、これからも私たちは縁の中で生きています。「明日は何をしでかすかわからない」という自分の危うさを知ることで、同じように生きる他人に対しても心を寄せることができるでしょう。
【 『 くり返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
私たちは、常識では自分の行いを自分自身で決定していると思っています。しかし、そうではない、といわれるのです。自身の行為は縁の有る、無しによって決定するからだと。正に私たちは縁の中で生きているのですね。
さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまひもすべし( If the karmic cause so prompts us, we will commit any kind of act.)