生き仏が、すぐそこにいる ( Living Buddha Is Close There )
- これが親鸞の「信心」の世界
仏さまに会いたい!
高野山に行ったら、会えるだろうか。比叡山に行ったら、会えるだろうか。
長野の善光寺に行ったら会えるだろうか。中国の五台山に行ったら、会えるか?
京都へ行っても、奈良へ行っても、生きている仏さまは、なかなか会えない!
ふと、仏像めぐりの旅の終わりに、まわり道をして、故郷へ立ち寄った。
おばあちゃんが、仏壇の前で、静かに手を合わせ、念仏をしている。
いたっ!ここに生きている仏さまが、いらっしゃった!
仏に成りたまいて御名(みな)を申す (唯信鈔文意)
ナムアミダブツ(御名)と念仏しているとき、人は、みな仏になっている。念仏をしているときは、自分が仏さまなのである。これが、親鸞の信心の世界である。一心に念仏をしているお婆ちゃんの心の中には、苦悩がない。そこに、仏がいる。
【 (超訳)『こころに響く 親鸞の言葉』 境野 勝悟 三笠書房 】
「南無阿弥陀仏」と、念仏をしているとき、人は皆仏さまになっているのであると、言われ、これが、「親鸞聖人の信心の世界である」旨、書かれています。そして、念仏を申す人の心境は、苦悩がないことです。また、生き仏がすぐそこにおられるのは心強いことです。