『御文』を声を出して拝読し、みんなに聞かせることも、阿弥陀如来の働きそのものなのだ、と思うがよい。一言一句であっても、阿弥陀如来の眼とめぐりあって、その上に人に語るならば、その生き生きとした姿にまわりの人々の頭は文句なしに下がるし、自分の生き甲斐にもなるのだ。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
『御文章』を声を出して拝読し、みんなに聞かせることも、阿弥陀如来の眼とめぐりあって(救われて)人に語れば、人は感動し、また、自分の生き甲斐にもなるのだ、と言われます。その背景には阿弥陀さまの偉大なお働きがあるからなのです。