2022-11-25 教える喜び ( Delight to Teach Buddhism ) 人に南無阿弥陀仏のお話しをして、相手が喜んでくれるならば、その喜ぶ人以上に自分自身が、有り難く尊く思うがよい。自分が偉くて人に教えたのではなく、阿弥陀如来の明るい眼の働きで喜ぶ人が現れたのだと、阿弥陀如来の働きを有り難く思うがよい。 【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】 仏法の話をして相手が喜んでくれるなら、それはとても有り難いことです。阿弥陀如来の明るい眼(まなこ)とめぐり会うことで救われるからです。すべて、阿弥陀さまのお計らいです。