阿弥陀如来の明るい眼がわかっていない人が、南無阿弥陀仏の教えを振りまわすことは、幼児が鋭い包丁を持っているのと同じである。なぜならば、包丁は便利なものであるが、幼い子供が持てば、手を切り、けがをしやすい。働きをよく知っている人だけが、その素晴らしさを味わうことができるのである。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
阿弥陀如来の明るい眼が分かっていない人は、気をつけないといけませんね。明るい眼がわかっている人だけが、その素晴らしさを味わうことができるからであると言われるからです。
しっかりと教えを聞きぬき、宝物にしたいものです。