お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Talks to Be Heard(聞くべき話)

 たとえば、「私はどこから生まれてきたの?」「何のために生きているの?」「死んだらどうなるの?」という、おそらく誰もが一度は考えるであろう問いに応えるような情報は、日常生活のなかには皆無とさえ言えるのではないでしょうか。おそらく有史以来、問われ続けてきた問題であるはずなのに。               私も仏法と出遇うことが無ければ、問いはあっても、応えることも、考え続けることもなかったでしょう。ましてや、その答えを見つけることなどあり得なかったと思います。  
 私は、いま、はっきりと、仏法を聞くために生まれさせてもらい、念仏させていただくために生かさせていただいている、と言えます。そういう答えしか出すことができません。 
(略)                                 
 ….. 阿弥陀さまのこころを聞かせてもらうのが仏法聴聞です。仏さまの話を聞いて、それを自分の都合の良いように取捨選択したり、整理したり、修正や統合、組み立て活かしていくというのではありません。仏法はうまく生きるための情報ではないのですから。身につける情報でもありません。そのまま聞けば、響いてくるのが仏法です。また、阿弥陀さまのこころを聞くことができない、また受け取ることができないと思ってみても、必ず届くように仕上げられているのです。
   【 『私のものさし 仏のこころ』 西光義秀 探究社  】
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 ここで、西光師が前半部分で言われていることは、私も同様に思うことです。

(What Mr. Saikou says in the first half of the sentences is the same as my thought.)


 また、西光師は「阿弥陀さまのこころを聞かせてもらうのが仏法聴聞です」と言われます。「阿弥陀さまのこころ」とは、阿弥陀さまは慈悲の仏さまですから、「慈悲のこころ」と受け取れるのではないでしょうか。そうしますと、(聴聞しても)「阿弥陀さまのこころを….. 受け取ることができないと思ってみても、必ず届くように仕上げられているのです」、の件からは阿弥陀さまの深遠な慈悲(のこころ)のお働きが感じられます。私たち凡夫を必ず助けると、阿弥陀さまは計らわれているのです。力強いことですね。