お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

末通らない ( Illogical ) 

「末通らない」とは、『歎異抄』に出てくる浄土真宗の教えそのものを表す言葉で、「人間は、首尾一貫して筋の通ったことはできない」といった意味です。 (略) せっかくよいことを積極的にやろうとしているのに、能力が及ばす、思うとおりにいかない。しょ…

今日の尊さを忘れない ( No Forgetting the Preciousness of Today )

私どもの宗派では、「仏法には明日はない」とよく言います。人間の命は壊れやすく、次の瞬間どうなるかわからないから、明日に延ばさず、今日、話を聞きましょうという戒めです。 (略) 自分のいのちは、遠い人類の祖先から受け継いできて与えられたもので…

仏さまのまねごとをする ( Following Amida’s Example ) 

仏教には、財のある人は財を施し、財のない人でも「無財の七施(しちせ)」と言って、財産やお金がなくてもできる施しをしなさいという教えがあります。 ①人に対する優しいまなざし[眼施(げんせ)]、②柔和な顔で接する[和顔悦色施(わげんえつじきせ)]、③…

如来のひとり子 ( The Buddha’s Only Child ) 

「一切衆生悉有(しつう)仏性(ぶっしょう)( All sentient beings entirely have Buddha- nature.)」という言葉が『涅槃経』にあります。「すべての衆生は、生まれながらにして仏となる種(仏性)がある(『浄土真宗聖典』より)」ということです。 阿弥陀…

なぜ釈迦牟尼仏が出現したのか ( Why Sakyamuni Buddha Appeared )

如来の世に興出(こうしゅつ)したまう所以は 唯(ただ)弥陀の本願海を説かんがためなり 「正信念仏偈」 (釈尊が世に出られたのは、ただ、阿弥陀仏の大いなる誓いを知らしめるためでした) 浄土教とよばれている流れにおきまして、常に阿弥陀仏という名の…

どんなことでもしてしまうのが人間 (It Is Man Who Does Anything) 

さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし 『歎異抄』第十三章 (そのような因縁があれば、どんなことでもしてしまいます) “運命論”といわれる思想がありますが、これは、すべての行為は、目に見えない何ものかによって支配されている、といった…

「言葉」の本来の意味 ( The Primary Meaning of a Word ) 

ブログ、B級手品師(日常編)、「言葉の意味 忘れたくない」(2019・11・07)を読ませてもらいました。「檄(げき)を飛ばす」の意味について書かれていますが、7割ちかくの人が「元気のない者に刺激を与えて活気づけること」と思っていました。本来の意味は…

学問する必要は全くない ( It Is Quite Unnecessary to Learn ) 

そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや 『歎異抄』第十二章 (その他に、どんな学問が往生に必要なのでしょう) 親鸞の弟子の中に、ひたすら念仏するだけではたして救われるのであろうか、といった疑いの心を持った者が出てきたために、わざわざ関東から…

他宗の中傷を禁止 ( Forbidding Slander against Other Religions ) 

蓮如上人は、『御文章』第一帖十四通において、わが浄土真宗の念仏者にあっては、ほかのもろもろの宗派の教えを中傷してはならないと言っておられます。何故かといいますと、どの宗派もみな仏の説かれた教えだからです。そして他宗に対しては、「自分が、そ…

はからいを超えた念仏 ( The Nembutsu beyond Working )

念仏には無義をもって義とす 『歎異抄』第十章 (念仏には、教義なきを教義とします) “南無阿弥陀仏”と称えるのが、もし自分の意思や努力によって行われるとするならば、それは、一種の自力行為になるでしょうが、親鸞の場合は、念仏すること自体を阿弥陀如…