2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
自然法爾(じねんほうに) / 親鸞 親鸞が八六歳のときに書いた書簡にあるのがこの言葉です。 自然とは、おのずからそのまま、そして法爾もまた、おのずからそのままです。つまり、「こうでなければいけない」「こうしたい」という人間としてのはからいをやめ…
莫妄想(まくもうぞう) / 無業 人は明日のことを思って不安に心を乱したり、過去のことを思ってクヨクヨします。 しかしどれだけ悩んでも、答えが出てくるわけでもありません、いくら考えてもわからないことを考えること、それが妄想です。そうした妄想を考…
自分を苦しめず、また他人を害しないような言葉のみを語れ / ウダーナヴァルガ 人間関係に上手な言葉は必要ありません。大切なのは「うまく話す」ことではなく「やさしく話す」ということです。 「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。人は悪…
平常心是れ道 / 無門関 「道とはいかなるものですか」 弟子の趙州(ちょうしゅう)に聞かれた南泉禅師が答えたのがこの言葉です。平常心こそが道であるということですね。ただこれは、平常心を保つように努力せよということではありません。もし求めたりすれ…
無功徳 / 景徳伝燈録 将来のために貯金をする。若々しくいるために運動する。人は何かの「ために」努力をしようとします。それは、「善いことにつとめれば、善いことが返って来る」と考えているからです。 梁(りょう)の皇帝であった武帝も、そう考え仏教を…
般若 / 般若心経 仏教の智慧は世間の智慧とは違っています。世間の智慧は善悪や優劣を分別して価値判断をしようとしますが、仏教は逆に「分別するな」と教えています。無分別こそが仏教の智慧 ― 般若なのです。 たとえば「美しいものを愛しなさい」と教える…
まどへる人の楽と思ふは、苦をもって、楽とおもへるなり / 鉄眼道光 迷いのなかにある人が「楽」と思ふことは、実は楽はない。本来は苦しみであるものを、楽しみと受け取っているのだ。江戸時代に生きた禅僧・鉄眼道光(てつげんどうこう)のこの言葉には、…
「疑いなく信じておまかせするもののことは、阿弥陀如来がよくご存じである。阿弥陀如来がすべてご存じであると心得て、身をつつしまなければならない。目には見えなくてもつねに如来がはたらきかけてくださっていることを恐れ多いことだと心得なければなら…