お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

教える喜び ( Delight to Teach Buddhism )

人に南無阿弥陀仏のお話しをして、相手が喜んでくれるならば、その喜ぶ人以上に自分自身が、有り難く尊く思うがよい。自分が偉くて人に教えたのではなく、阿弥陀如来の明るい眼の働きで喜ぶ人が現れたのだと、阿弥陀如来の働きを有り難く思うがよい。 【 現…

みんな阿弥陀さまの働き ( All of Things Are by Amida Buddha's Work )

『御文』を声を出して拝読し、みんなに聞かせることも、阿弥陀如来の働きそのものなのだ、と思うがよい。一言一句であっても、阿弥陀如来の眼とめぐりあって、その上に人に語るならば、その生き生きとした姿にまわりの人々の頭は文句なしに下がるし、自分の…

阿弥陀さま不在の時( When Amida Buddha Is Absence )

「来る年も、来る年も、空しく過ごすのは、阿弥陀如来の明るい眼を忘れているからである」と、いつも蓮如さまは教えられた。 【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】 蓮如上人の非常に厳しい言葉です。阿弥陀如来に救われるための聴聞で…

明るい眼、生き生きとした生活 ( Bright Eyes and Lively Life )

「阿弥陀如来の明るい眼にめぐりあった者は、誰でもまわりから見ればとうとい、素晴らしい人に見える。これは、その人が素晴らしいのではない。私たちの欲望の眼で生活すれば、暗い干からびた毎日しかない。だが、阿弥陀如来の明るい眼をいただいて生活する…