お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

The Nose Faces Downward(鼻が下を向いている)

ある時、(源左が)田んぼへ「田の草取り」に行っていたら、突然、夕立がやってきて、雨具の用意をしてなかったから、とぼとぼと帰ってきた。その帰る途中で願正寺のご住職と出会ったのです。ご住職が、 「爺さん、よう濡れたのう」 と言うと、源左は、 「有…

Worshipping His Own Hands(自分の手を拝む)

源左さんの甥の孫に当たる方に、足利敏夫という方がいらっしゃいました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子供の頃、源左さんと一緒に田んぼに行ったというのです。まだ小学生の頃です。家は別ですけども、同じ村内…

To Meet with My Own Self(自分自身に会う)

ドイツの哲学者ニーチェ(1844−1900)は、「各人がそれぞれ自己自身にもっとも遠い存在である」 と言いました。 この言葉に対して、鷲田清一氏(哲学者・1949− )は「折々のことば」(朝日新聞)の中で言っています。「『道徳の系譜』のなかで引かれているド…

In Rapids and Impermanence(激流と無常の中で)

まず、激流ということですが、これは私たちの生きている世界を大きな激流に譬えているのです。煩悩に縛られ、支配されている私たちは、激しく流れる水に押し流されているようなものだというのです。 また、煩悩のことを暴流(ぼる)ともいいます。これも勢い…

Amida Buddha Forestalls Us(先手の阿弥陀仏)

『大無量寿経』には、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時の、十方衆生を仏にできなかったら私は仏にならないという誓願が、十劫の昔に既に成就して、現在、阿弥陀仏となって活躍されていることが説かれています。私たちは今、その阿弥陀仏の活躍されているこの世…