お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2018-01-01から1年間の記事一覧

Being Sure to See the Deceased Again(かならず再び会う)

先立った方々を思えば、在りし日の面影を懐かしく思うとともに、言いようのない寂しさを覚える。 親鸞聖人は、お弟子に宛てた手紙の中で仰せになる。 浄土にてかならずかならずまちまいらせ候うべし 再び会うことのできる世界がそこにある。今ここで、同じ信…

The Day of Today(今日という日)

今月20日の午後、ゴーッと異様な音がしたような、また家もちょっと揺れたような気がして、「地震かな」と思ったのですが、それっきりだったので、何だったのだろうと思っていました。ですが、やはり地震だったことが後でテレビを見てわかりました。震度は1〜…

The Beautiful Western Pure Land(美しき西方浄土)

経典には、阿弥陀如来の西方(さいほう)浄土が、清らかな蓮華が咲き、麗(うるわ)しくかざられた、さとりの浄土として説かれている。 親鸞聖人は、安楽浄土のさまざまなありさまを、 法蔵願力のなせるなり と仰せになる。 美しい浄土のありさまは、「迷い…

The Pure Land of Light(光の浄土)

浄土は、無量の光に満ちあふれた世界。如来の智慧が光となって耀き、限りなくはたらき続けるさとりの世界である。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の浄土をお示しになり、 無量光明土なり と仰せになる。 如来の浄土へ生まれるならば、その光のはたらきにより、いか…

Thanks to the Buddha(仏さまのおかげで)

蓮如上人は『御一代記聞書』(二九六)の中で、このように言っておられます。「何ごとにおいても、善(よ)いことを思いつくのは仏のおかげであり、悪いことでもそれを捨てることができたのは仏のおかげである。悪いことを捨てるのも、善いことを取るのも、…

There Is No Truth(真実味がない)

手品師さんのブログ「涙流しながらの自慢」(2018・12・1)を読ませてもらって、人間の自力の強さというものを改めて感じさせられました。 お釈迦さまは大無量寿経に「心口各異 言念無実(心に思っていることと口に出して言うことが一致せず、真実味がない)…

Sleeping with Eyes Open(目をあけて眠る)

「目をあけて眠っている人」私も、その一人でした (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<12月の言葉>より 「目をあけて眠っている人」、なんともユニークな表現です。「目は開けているのに、なんにも見ていない」ということでし…

Free Salvation(自在の救い)

念仏申し浄土へと先だっていかれた方々は、この世界にかえり来て、私たちを念仏の教えに導いていてくださっている。 親鸞聖人は仰せになる。 安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし 浄土で仏となった方は…

Questions(質問)

前に当ブログでも取り上げたことのある(天台宗阿闍梨)の酒井雄哉(さかいゆうさい)氏は自著の『続・一日一生』の中で「死後の世界、地獄や極楽は存在するのか」について、このように書かれています。 「死んだらどうなるんだろう。ぼくはやっぱり命の動き…

Life Going for Pure Land(浄土への人生)

阿弥陀如来は、煩悩によってさとりに至ることのできない凡夫を哀れみ、あらゆる功徳を南無阿弥陀仏に込めて私たちにふり向けておられる。 親鸞聖人は仰せになる。 臨終一念の夕(ゆうべ) 大般涅槃(だいはつねはん)を超証す いのち終えるとき、すみやかに…

The Sad Letter(悲しい手紙)

四年前の夏に亡くなった義妹(弟の妻)の手紙を読み返してみました。 「・・・・退院して1年2ヶ月がたちました。体調も少しずつ良くなっていると思います。・・・・・毎日仕事、仕事で足の痛みをこらえて一生懸命働いてきました。そのあげくに足に腫瘍が!…

Paris _ Imagination and Reality(パリ_ 想像と現実)

「特派員メモ」というコラム(朝日新聞)に、このように書かれていました。「パリの都は美しい。地面さえなければ。犬のフン、たばこの吸い殻に紙くず、ありとあらゆるゴミが無造作に捨てられ、時にネズミの死骸も転がる。せっかくの美しい建築も、犬のフン…

The Nembutsu to Return One’s Gratitude to the Buddha(報恩の念仏)

阿弥陀如来は、迷いのなかにある私たちを哀れみ悲しまれ、そのままに救いとるとはたらかれている。浄土真宗の救いは、この如来のはたらきを信じる心一つで定まり、念仏は救われたよろこびが声となってあらわれ出たものである。 親鸞聖人は仰せになる。 ただ…

The Lives of Things(「モノ」のいのち)

「モノ」のいのちをいとおしむ心 (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<11月の言葉>より 「モノ」のいのちとは「物の寿命」と考えられます。私の場合、身の回りの多くの物の中には、お気に入りのものがありますが、そのような物…

The Sunshine(晴天)

先日の10月21日(日曜)は、忘れられないほどの素晴らしい晴天でした。朝のテレビに映った日本全国の天気予報図は、北から南まで47都道府県すべて赤い晴れマークのオンパレードでした。このような天気図はめったに見たことがありません。 この晴天に誘われて…

The Pleasure of a Fool(愚者のよろこび)

阿弥陀如来は、「必ず救う、われにまかせよ」とよびかけておられる。そのよび声を通して、確かな救いのなかにあることをよろこぶとともに、ありのままの私の姿を知らせていただく。 如来の光に照らされて見えてきた私の姿は、煩悩に満ちみちた迷いの凡夫であ…

In the Six Characters(六字の中に)

今年の夏から9月にかけては、猛暑続きの中、6個もの大型台風や北海道では巨大地震等にも見舞われ、日本のあちこちで甚大な被害を被りました。まだまだ完全な復興に至っていない所も多く、「災害大国日本」と呼ばれ始めているほどです。 でも、ここに来てよう…

The Salvation Here and Now(今ここでの救い)

念仏の教えにあうものは、いのちを終えてはじめて救いにあずかるのではない。いま苦しんでいるこの私に、阿弥陀如来の願いは、はたらきかけられている。 親鸞聖人は仰せになる。 信心の定まるとき往生もまた定まるなり 信心いただくそのときに、たしかな救い…

To Hear is Shinjin(聞くことは信心なり)

母に抱(いだ)かれて笑う幼子(おさなご)は、母の慈(いつく)しみを信じて疑うことがない。慈愛に満ちた声を聞き、ただその胸に身をまかせ、大いなる安心のなかにある。 親鸞聖人は仰せになる。 聞其名号というは 本願の名号を聞くとのたまえるなり きく…

The Call of the Tathagata(如来のよび声)

阿弥陀如来は、すべての者を救いたいと願われ、南無阿弥陀仏の名号を完成された。名号は、如来の智慧と慈悲を円(まど)かに具えた、救いのはたらきそのものである。 親鸞聖人はこの如来の名号を、 本願召喚の勅命なり と仰せになる。 南無阿弥陀仏は、「必…

Gratitude(おかげさま)

こんなに おかげさまを 散らかしている私 すいません(東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<10月の言葉>より 阿弥陀さまのお慈悲に包まれているのに、私はそのことに鈍感です。そのため「おかげさまを散らかして(ご恩を粗末にし…

The Primal Vow of Other Power(他力本願)

親鸞聖人は仰せになる。 他力というは如来の本願力なり 他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきであり、これを他力本願という。他力本願は、如来から私に向けられたはたらきであって、自分の望みを他人にまかせることではない。 阿弥陀如来は四十八の願いを発…

The Meaning of the Primal Vow of Other Power(他力本願の意味)

「他力本願」の意味を『広辞苑』にはこのように書かれています。 ① 阿弥陀仏の本願。また、衆生がそれに頼って成仏を願うこと。 ② 転じて、もっぱら他人の力をあてにすること。 「他力本願」は仏教用語ですから、浄土真宗では②の意味でこの語を使うことを誤…

The Buddha of the Unlimited Light and Life(限りなき光と寿の仏)

阿弥陀如来がさとりを開く前、法蔵菩薩であったとき、すべてのものをすくうため、限りない光と寿(いのち)をそなえた仏になろうと誓われた。そして果てしない修行の末に、その願いを成就して、如来となられた。 阿弥陀とは無量をあらわす。阿弥陀如来は、そ…

The True Teaching(真実の教え)

あらゆる者を救いとる教えこそ真実の教え、究極の教えである。 親鸞聖人は仰せになる。 それ真実の教(きょう)を顕(あらわ)さば すなわち『大無量寿経』これなり 『大無量寿経』には、あらゆる人を念仏一つで救おうと誓われた、阿弥陀如来の本願が説かれ…

Child Abuse and Karmic Cause(児童虐待と業縁)

親による児童虐待事件はよく聞く話です。ついこの前も3、4歳の頃、母親から虐待を受けたある女性(44)の話が朝日新聞に出ていました。内容は次のようです。 「女性は、当時いろいろの決まり事を母から課せられ、それが出来なかった時は、たたかれたり、蹴ら…

Sentient Beings(凡夫)

親鸞聖人は仰せになる。 凡夫というは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおおく いかり はらだち そねみ ねたむこころおおくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず 凡夫は、命終るその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う…

The Field(畑)

こころを育てる畑を荒らさないように (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<9月の言葉>より 心を育てる畑、すなわち心を豊かにし、人間らしい人に成長させるものと考えますと、芸術や学問、活動、興味などといった様々な分野、領…

The World of a Child of Two(2歳の世界)

過日、山口県の山中で2歳0カ月の男児が行方不明になり、3日後に曾祖父宅近くから約560メートル離れた山中の沢で無事保護されるというできごとがありました。 連日の猛暑の中で起きたことです。幼児であるだけに、なぜ熱中症になることもなく、また、なぜ体力…

Question toward Life Itself(人生そのものの問い)

日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れた時、自分や家族が大きな病気になった時、身近な方がなくなった時、「人生そのものの問い」が起こる。「いったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」。 この問いには、人間の知識は答えを示せず、積み…