2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞の言葉63:悪友には気をつけろ 「つねに悪友(あくう)に随(したが)ふ」といふは、「悪友」とは、善友(ぜんぬ)に対す、雑毒虚仮(ぞうどくこけ)の人(にん)なり。(「つねに悪友に従う」というのは、悪友は善友に対する存在。毒まじりの善行を行う…
親鸞の言葉66:親子の縁を切る いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。(今は親と思うこともなく、子と思いも断ちきりました。)(『親鸞聖人御消息』第九通) この手紙は慈心房(善鸞)義絶状ともいわれる。多くの同胞のため、晩…
親鸞の言葉 72:自分は自分 この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。(念仏の教えを信じる人もいれば、謗る人もいるだろうと仏はすでに説いている。それゆえ私はすでにこの教…
下記は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(When I consider deeply the Vow of Amida, which arose from five kalpas of profound thought, I realize that it was entirely for the sake of myself alone.) の言…
(ところで、)この我というものは、自分の力で潰そうと思ったところで決して潰せるものではありません。如来さまの力によってはじめて潰れるのです。私たちが他力の信心を得るということは、如来さまの力で我が潰されるということです。我というものが如来…