2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧
往生のためには、わざと現実苦に汚れる必要もなく、また強いて、理想善を装う必要もない。宿縁にまかせるそのあるがままの姿に弥陀の悲願は最もよく感得せられるのだ。 親鸞なかりせば、人は法然のように清く、高く、独身、菜食にして、涼しく安らかに生活せ…
親鸞はこの越後時代に二度目の妻を娶(めと)って、その間に慈心房善鸞が生まれたが、母は早く世を去った。この善鸞の母がどんな素性の、どんな人であったかは記録が伝わっていない。そして第三の妻を迎えたのが、一生涯親鸞の室として一番長く連れ添った恵…
いまははや一夜の夢となりにけり 往来あまたのかりのやどやど(存覚上人) ( It is already a night’s dream now, though I have repeated countless lives and deaths with this impermanent world as a temporary residence.) (この迷いの世界を仮の宿と…
信心には、助けられると信じて念仏申すという事の外に、なんらの思想内容も与えてはならない。( You must not add any thought to shinnjin except for having been enlightened and then saying the Name.) 現代の思想迷路、思想地獄を充分に知っているもの…
多く唱えるのは多く唱えねば救われぬと思うからではない。唱えて救われることの嬉しさにほれぼれと唱えずにおられないはずの自然の心理なのである。それのみを便りとして生きている者、それ以上の一大事がないと信じる者が唱名に余念がないのは、例はどうか…