2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧
正定(しょうじょう)の因はただ信心なり(正信偈) 私たちは「信心」というと「自分が起こすもの」「自分が強く心に思うもの」と捉えがちですが、他力の信心というのは阿弥陀さまからいただくものです。そのいただいた信心こそが、私たちを救ってくださると…
信心の定まるとき往生また定まるなり (末灯鈔) 『歎異抄』の最後の部分にこんなエピソードが記されています。親鸞は、師である法然の兄弟子の前で「自分の信心も法然さまの信心も同じである」といったのです。それに対し、兄弟子たちは反論しますが、親鸞…
たとひ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ(歎異抄) 親鸞は教えを乞いに来た人たちに向け、「たとえ法然聖人に騙されて、念仏して地獄に落ちてしまったとしても、後悔することはない」といいました。「他…
愚禿が心は、内は愚にして外(ほか)は賢なり (愚禿鈔) 親鸞は自らのことを「愚禿釈の親鸞」と証し、「私の内面は愚かで煩悩にまみれているにもかかわらず、外見は賢いかのように振る舞っている」と記しています。いくら外見を取り繕っても、煩悩は絶えず…
新しい能力がどんどん目覚めるとき ずいぶん、長い間、坐禅をしてきた。黙って、ただひたすら座る。 「なんの役に立つのか!」 先輩からも、友だちからも、ずいぶんバカにされた。が、坐禅をしてみればわかるが、坐って静かな時間を持つと、新しい能力に目覚…