2016-01-01から1年間の記事一覧
A taste of freedom A pony that ran away from a pet shop in the nation’s capital enjoyed a brief taste of freedom ____and some grass____ before being gently coaxed back. The Japan Times On Sunday > (訳) つかの間の自由 東京の首都圏のペット…
「宿縁」といっても「業縁」といっても同じ意味ですが、この概念には非常に難しい問題がふくまれています。もし人間生活の一切が過去からの宿業で決まるのだとしたら、我々の自由や責任はどこへ行ってしまうのか。良い心が起こるのも宿縁のしからしむところ…
「たまたま行信を獲(え)ば、遠く宿縁を慶(よろこ)べ」。『教行信証』の総序の中の言葉です。自分にふと信心が湧いたら、それは私の心が良くてしっかり聴聞したからだなんて思うのはとんでもないことだ。そうではなく、ひとえに遠い宿縁のお蔭だというの…
Where to burn the growing number of dead? According to the Ministry of Health, Labor and Welfare, 1.3 million Japanese died in 2015, the most in a single year since the end of World WarⅡ. This number will continue to increase, exceeding 1.…
宿業とは、人間存在の底無き底のことです。その宿業というものを我々は、いかなる仕方によっても抜け出ることはできません。ところが、この宿業が不思議なことに如来の本願力によって断ち切られていくのです。だから宿業があるといって少しも心配しなくてい…
阿弥陀様はこのままで救ってくださる、どんな悪を持っていても阿弥陀様は決してそれをいけないとおっしゃらない。悪をやめられない凡夫だからこそ必ず助けるというのが、誓願の心だと聞かされている。これはその通りなんです。ところが、それをありがたいと…
今の世つまり、唯円在世の頃のお坊さんとか門徒とかは、学問や知識によって、相手を論破しようということばかり考えておるようだけれども、それは大きな間違いじゃないだろうか。そうではなく、学問すればするほど、相手に勝とうじゃなくて、如来様の恩徳の…
先日、ある死刑囚の死刑が執行されたというニュースがありました。また、死刑執行に関しては弁護士団体が反対していて、最近「死刑廃止宣言」を出したことも報じられています。 ところで、蓮如上人の死刑に対する思いは『御一代記聞書(現代語版)』(二三九…
浄土真宗に熱心なあまり、つい他の宗派の悪口を言いだすと、これはまったく親鸞聖人の教えに反するのです。他の宗派の悪口をいったとたんに、浄土真宗という仏法そのものに対する反逆になってしまいます。だから親鸞聖人でも蓮如上人でも、他の宗派の悪口は…
私たちが阿弥陀様に向かって自分の心のあるがままを申し上げますと、阿弥陀様はいつでも、「心配するな」と言われます。そうすると、不思議にもそこに阿弥陀様と私の間に一つの対話の空間が開かれて、とうとう阿弥陀様の心と私どもの心とがひとつになり、ど…
たいていの現代人は人生を自分の小さな了見、つまり常識で生きています。人生とは自分が思っているような世界だと思い込んだままで一生を終わるのでしょう。しかし、これは真理に目覚めない生ですから地獄行きの人生です。誰が地獄に行くかと言うと、大きな…
まず阿弥陀さまの願力がましまさなかったら、阿弥陀さまを信じることなんかできません。信ずる、信ずると、いかにも自分の力で阿弥陀さまを信じるように思いがちですが、そんなことはとうてい不可能なことです。阿弥陀様のまことがましますから、そのまこと…
今年は家庭菜園に植えた大根が、例年になく虫の被害を受けています。葉っぱが青虫に食われて、点々と穴があいたり、ほとんど食い荒らされたりしたものもあります。葉っぱがなければ大根は育たないから困ったものです。 葉っぱもある程度まで大きくなれば、少…
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき」とあるように、誓願の不思議を信ずることがそのまま名号不思議を信ずることでもあります。如来さまの誓願不思議を信じたら必ずナンマンダ…
人の顔が違うように、個人の願いはみんな違います。けれども、お浄土に生まれたいという願いだけは、個人を超えた願いです。個人を超えたと言っても、個人と関係がないということではありません。個人の根底を流れているいのちそのものの願いです。その願い…
朝日新聞(2016年9月17日付)の読者モニターへのアンケートをもとに行った(ある企画での)調査結果が目を引きました。アンケートの質問は、「生まれ変わりを信じますか?」というもので、回答者数は1809人。その内訳は、「はい」と答えた人が32%、「いいえ…
先日のニュースによりますと、四国八十八箇所を巡拝する四国遍路に、さい銭泥棒が相次いで起きているとのことです。信仰の場での行為であるだけに、寺々(曹洞宗)の住職を嘆かせているといわれます。被害を防ぐために、寺の多くが監視カメラを設置せざるを…
念仏の世界の不可思議とは、人間の分別的な知性では考えることができないということです。( What is beyond conception in the world of the nembutsu is that human beings can not think with human discreet intellect. ) なぜかというと、人間の思考は「…
Friday, Sept. 16, 1966 Birth rate plummets due to superstition The birth rate in Japan went down by as much as 27 percent this year because of the superstition that girls born this year are “undesirable.” This was revealed by a survey comp…
蓮如上人の御文章五帖第十二通は、「「お袖章(そでしょう)」と呼ばれます。この章の中に「なにのようもなく、ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば・・・・」と書かれている部分…
「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」( Though we feel reluctant to part from this world, at the moment our karmic bonds to this Saha world run out and helplessly we die, we shall g…
「我が弥陀は名を持って*物を接したまふ。ここをもって耳に聞き口に誦(じゅ)するに、無辺の聖徳(しょうとく)、*識心(しきしん)に*攬入(らんにゅう)して、永く仏種(ぶっしゅ)となる」( Our Buddha grasps beings with the Name. Thus, as we hea…
8月6日は、今年で被爆71年の広島原爆の日でした。去る5月には、オバマ大統領がアメリカ現職大統領として初めて広島を訪れ、原爆慰霊碑の前で演説しました。このことにより、核兵器廃絶を求める被爆者団体や関係者の間では、一層核兵器廃絶を求める動きが加速…
アドルフ・ヒトラーと言えば、ナチスドイツの悪名高き独裁者です。先日の新聞によりますと、「アドルフ」というファーストネーム(名)は、第2次大戦が激化した42年を境に急に不人気に転じたと言われます。戦後も傾向は変わらず、「アドルフ」と名づけられた…
『蓮如上人御一代記(現代語版))』(一三二)には次のように書かれています。 「『念仏するにも、よい評判を求めているかのように人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように気をつけているが、これは実に骨の折れることである』と、ある人がいい…
最近、『呼び覚まされる霊性の震災学』(金菱清(ゼミナール)編 新曜社)という本が発刊されたことを知りました。この本は、東日本大震災における東北学院大学の震災プロジェクトの研究成果の一部を本にしたものだそうです。 本の内容紹介によりますと、次…
ある総合病院に「あなたが赤ちゃんを選んだのではありません。赤ちゃんがあなたを選んで生まれてきたのです」という壁紙が張ってありました。 昨今の幼児虐待の痛ましい事件や育児放棄が社会問題となる中で、張り出されたものなのでしょう。 (略) では先ほ…
愚痴や怒りの言葉が出る口と、南無阿弥陀仏という言葉が出る口とは別の口ではなくて同じ口です。あっちの口で悪口を言って、こっちの口で南無阿弥陀仏と言っている人はいません。同じ口から出るというところが尊く有難いんではないですか。 つまり、私たちを…
今年5月27日、オバマ大統領がアメリカ大統領として初めて被爆地の広島を訪れ、原爆慰霊碑の前で演説をしました。その演説の冒頭の一文は次のようです。 Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was c…
たくさんのお弟子たちがおられたにもかかわらず、聖人は「親鸞は弟子一人も持たず候」とおっしゃるのです。それは何故かというと、これらの弟子たちは何もこの親鸞の力によってお念仏に帰したわけではない。ひとえに如来さまのはからいによって念仏に帰した…