2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
念仏には無義をもって義とす (歎異抄) 義とは「はからい」や「分別」を表す言葉。本願他力の念仏においては、自分の都合で判断したり、理屈で考えたりすることはしません。「念仏を称えれば、よいことがあるかもしれない」などという勝手な意味づけは、し…
師をそしるものをば、謗法(ほうぼう)のものと申すなり。おやをそしるものをば、五逆のものと申すなり (親鸞聖人御消息) 「謗法」は仏教の教えを非難すること、「五逆」は父や母を殺すなどの五つの重い罪で、Ⅰつでも犯せば無間地獄に落ちるとされています…
行をはなれたる信は、なしとききて候ふ。また、信をはなれたる行なしとおぼしめすべし(末灯鈔) 親鸞は行(念仏)と信(信心)は表裏一体のものであると考えていました。信心のない念仏も、ニセモノであるということです。「念仏には無義をもって義とす」と…
自然(じねん)といふは、「自」はおのずからといふ、行者のはからひにあらず。「然」といふは、しからしむといふことばなり )(親鸞聖人御消息) 「自然」とは、行者(念仏者)のはからいではなく、阿弥陀さまの願いによっておのずと起こるはたらきを意味し…