お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (2)

この世の中の一切のものは、みな無常であり、すべて移り変わるものです。人間の姿も全部移り変わって行きます。きょうの私は、もうあすはありません。何かが変わっています。 人生というのは諸行無常だと得心し、その中にあって永遠に変わらないもの、真のよ…

『ありがたい深い話』 ( Edifying Deep Sermons )(1)

父が亡くなって、引き出された白骨と向き合ったとき、取り囲んでいた私たちは次第に頼りない存在になっていった。 その時、「おまえの毎日していることを、ここから一度見直して見よ」と父の声を聞いたと語った方が忘れられない。 「生のみが我等にあらず、…

きびしい言葉 ( Severe Words ) 

奥州(おうしゅう)に、浄土真宗のみ教えを乱すようなことを説いている人がいるということをお聞きになって、蓮如上人はその人、浄裕(じょうゆう)を奥州から呼び寄せ、お会いになりました。上人はひどくお腹立ちで、「さてもさても、ご開山聖人のみ教えを…

見守られていることの幸せ ( The Happiness by Being Watched ) 

苦しいときでも、黙って自分を温かい目で見守ってくれる存在があると感ずるだけで、生きていくうえで大きな支えになります。私は仏さまに支えられていると感じていますが、人によっては、それが親であったり、おばさん、恩師、友人であったりするのではない…

ヒゲをそりながら念仏を称える ( Say the Nembutsu while Shaving ) 

摂津(せっつ)の国、郡家村(ぐんけむら)に主計(かずえ)という人がいました。いつも絶えることなく念仏を称えていたので、ひげを剃るとき顔のあちこちを切ってばかりいました。ひげを剃っていることを忘れて念仏を称えるからです。「世間の人は、ことさ…

こころを休める( Relaxing One’s Heart ) 

環境を変えられなくても、できることはあります。「私はどこにいるときでも、手を合わせて静かにお念仏を称える時間を大切にしています。( Wherever I am, I value the time when putting my hands together and say the Nembutus quietly. )」。動き回りた…

よくよく案ずれば ( Considering Deeply ) 

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、親鸞一人がためなりけり」と、親鸞聖人は『歎異抄』後序で言っておられます。 阿弥陀仏は、もしすべての衆生が仏にならなかったなら、自分も仏にならないという本願を立てられました。結果として、既に仏になってお…

病苦すら修行の場 ( Even Pain of Sickness Is an Ascetic Place )

山岡鉄舟は晩年、胃癌になり、最後はガンの複腔(ふっこう)転移で亡くなりました。しかし、病を得ても生き方は変わりませんでした。 「お医者さん、胃癌、胃癌、ともうせども、いかん中にも よいとこもあり」などと戯書(ざれがき)して笑ったりしていたと…

慈悲の極み ( The Extremity of Compassion )

己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり / 最澄 自分自身のことなど忘れてしまって、ただ相手の利することを考えて行動する。最澄はそれこそが慈悲の極みなのだと説いています。 言い換えると、困っている人に手を差し伸べようとするときは、自分のことは忘…

今日限りの命 ( Life Only for Today ) 

今日ばかりおもふこころを忘るなよ さなきはいとどのぞみおほきに 今日を限りの命だと思う心を忘れてはならないぞ。そうでないと、この世のことにますます欲が多くなるから。( Don’t forget your life is only for today, if not so, you will have more and…