2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず(末灯鈔) 誰でも「できるだけ苦しまずに死にたい」「穏やかな死を迎えたい」などと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私たちはとかく先のことに心が奪われがちです。起こるかどうかわからないこ…
聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ (教行信証) この言葉は『教行信証』の初めに出てくるもので、「聞思」は聞くこと、そしてそこから考えを深めることを意味し、「遅慮」は疑問を感じてとまどい、前に進めなくなってしまっているさまを表し…
煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲、ものうきことなくして常にわれを照らしたまうといえり(正信偈) もっと欲しいと常に求め続け、満足することのない「欲」、心にめらめらと湧き上がってくる「怒り」、他人への妬みやそねみ…
詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々 (歎異抄) この言葉は、遠く離れた土地から命がけで親鸞を訪ねてきた人たちに対して、親鸞が述べた言葉の一…
回心といふこと、ただひとたびあるべし(歎異抄) 「今日もイライラしてしまった。明日こそは穏やかな心でいよう」などと誓いを立てることは誰にでもあるでしょう。しかし、あらゆることに回心する(心を改める)のは「悪を断ち切って、善をおさめれば黄土に…