2020-01-01から1年間の記事一覧
中道 / 仏教語 料理は音楽にも似ています。甘さが勝っても、塩辛さが勝っても、おいしくありません。「いい塩梅」が大切なのですね。 頑張りすぎることは、この塩梅を無視して料理に塩を入れるようなもの。それではたのしむこともできませんし、身体もこわし…
布施というは不貪(ふとん)なり。不貪とは、むさぼらざるなり / 道元 仏教では「布施」を実践すべき徳目として薦めています。他人に施しをするというのが布施なのですが、金品を施すだけが布施ではありません。「和顔愛語」もまた布施の一つです。 自分が手…
忍辱(にんにく) / 法華経 自分に降りかかってくる苦しみに対して耐え忍んで生きなさい。そして、いまやるべきことをやりなさい。それがこの言葉の意味です。 仏教ではこの世のことを娑婆(サンスクリット語で「忍ぶ」の意)と呼びます。つまり、思い通りに…
飢え来れば飯を喫し、困(つか)れ来れば即ち眠る / 大珠慧海 「お腹が空けばご飯を食べて、眠くなったら眠る」 それがこの言葉の意味です。当たり前ですね。 唐代の大珠慧海(だいじゅえかい)が「道の修行にあたっては何か工夫を用いますか」という質問に…
一物不将来(いちもつふしょうらい)/ 従容録(しょうようろく) 趙州和尚は「すべてを捨て何一つ持たない(一物不将来)身となれば、あとは何を修行すればいいのですか」と、厳陽(ごんよう)尊者に尋ねられて「捨ててしまえ」と答えています。 「何を捨て…
人の心もとより善悪なし / 正法眼蔵随聞記(道元) 多くの場合、人は物事を善悪で判断してしまいます。しかし、この判断は何に基づくのでしょうか。 よくよく考えてみると、私たちが「よい」「悪い」と考えているのは、そのときの状況や自分の立場として、そ…
人の世にあるとき、求むる所、意の如くならず / 源信 どれだけ頑張っても、成功するとは限りません。それどころか、他人の上前をはねるだけの人間が、大きな顔をしていることもあります。どんなに求めても、独りになることもあります。それがこの世の現実で…
生ぜしもひとりなり。死するも独りなり / 一遍 生れてきたのもひとりであれば、死んでいくのもひとり。もとより人はひとりなのだ。それがこの言葉の示すところです。 どうもひとりの老後というと、どこか後ろ向きな印象がつきまといがちです。しかし、身近な…
心は万境(まんきょう)に随(したが)って転ず / 景徳伝燈録 悲しいことがあると、心は悲しみで満たされます。だからといって、心の本質は悲しみではありません。一方、喜びを感じると、心は喜びで一杯になります。しかし、これも本質ではありません。 喜び…
世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)/ 聖徳太子 「老後には〇千万円は最低必要」 雑誌を見ていると、ときおりそんな記事を見かけることがあります。もちろんお金を貯めることができるなら、それもいいでしょう。しかしちょっと待ってください…
世の中は食うて稼いで寝て起きて さてそのあとは死ぬるばかりぞ / 一休 私たちは誰一人として同じ存在ではありません。だからといって、その人の価値が違うわけではありません。金持ちであろうが、貧乏人であろうが、つまるところ人生は「食べて稼いで寝て起…
ただ今日なすべきことを熱心になせ / 釈迦 アリとキリギリスの話を「キリギリスになるな」と受け取られる方は多いようです。しかし本当にそうでしょうか キリギリスはやりたいことをやり尽くして死にました。いわば大往生です。対してアリはあまり楽しくなさ…
流刑さらにうらみとすべからず / 法然 世間的な価値観からすれば、お金がないのは不幸なことかもしれません。 しかし、お金にまつわるやっかいごとから自由になれるという意味では、必ずしも悪いことではありません。そう考えることもできます。つまり人生の…
遊戯三昧(ゆげざんまい)/ 無門関(禅宗の仏書) のんびりとして、どんなことに対してもとらわれない、そんな自由な心持ちで行われる行動が遊戯です。仏や菩薩は、この遊戯の境地をもって、私たちを救うべく活動をされています。 世間では、遊ぶというとあ…
朝日新聞オピニオン欄、「人生100年時代の現実」で福家孝さん(医師・ジャーナリスト)が次のように話されていました。「ずっと元気でいて、あまり苦しまずに亡くなる『ピンピンコロリ』が理想ですが、残念ながらめったにいません。病気やけがにより不自由な…
『御文章』五帖第十六通の「白骨の章」には、次のような一節があります。「されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり既に無常の風来たりぬれば、即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれ…
自業自得 / 仏教語 石を池に向かって投げれば底に沈んでいくように、一つの結果には必ず原因となる行いがあります。そして自分のなした行動―業によって、次の行動は引き出されます。それが自業自得という考え方です。 いいことも、悪いことも、すべては自ら…
更にいずれの時をか待たん / 典坐教訓 「他は是れ吾れにあらず(他のことは私の仕事じゃないよ)」 と老転座に言われた道元ですが、なおもこんな質問をしています。 「こんなに日差しが強いのに、なぜそんなご苦労をなさろうとするのです」 それに対して、老…
知足(ちそく)/ 仏遺教経 人生が旅であるならば、荷物はできるだけ少ないほうが、人生を楽しむことができます。 その荷物のなかでも、ついたくさん抱えてしまいがちなのが欲望です。 「もっとたくさん手に入れたい」 「手に入れたものを放したくない」 思え…
前回、一遍の残した言葉、「一切を“捨離”すべし」を取り上げました。ここでの「捨離」と同義の「断捨離」という言葉が現在よく使われています。 この「断捨離」に関して、少し気掛かりなことがあるのですが、そのことについて書かれていることを、フリー百科…
一切を捨離(しゃり)すべし / 一遍 「成し遂げたい」「手に入れたい」 そうした思いが人生を前に進めてきたことを否定はしません。ただ、手にしたものは本当に必要だったのでしょうか。欲望に踊らされて、必要ではないものまで、手に入れようとしていないで…
勝つ者は恨みを受く 負(ま)くる者は夜も眠られず 勝つと負くるを離るる者は 寝ても覚めても安らかなり (『法句経』) 上記は『イヤな思いがスーッと消えるブッダのひと言』(高田明和)に紹介されている言葉です。 「勝つ者は恨みを受く」とは、勝った者…
怨(おん)を以て怨に報(むく)いれば怨止まず / 最澄 人生とは理不尽の塊(かたまり)です。頑張ったからといってうまくいくとは限りませんし、突然大きな病気にかかってしまうことさえあります。心から信頼している人からひどい裏切りを受けることさえあ…
医王の目には、途(みち)に触れて、皆薬なり / 空海 「優れた医師の目で見ると、道端に生えている草でさえ薬になる」 空海の言葉は、「歪んだ眼鏡で物事を眺めていませんか。目の前に起ったことの意味を、思い込みだけで判断していませんか」と私たちに問い…
前々回の当ブログ(8月29日)で、「人間としてのはからいをやめてしまって、すべてを阿弥陀仏にお任せする」ことが大事であるという主旨の文を紹介させて頂きました。因みに「はからいの」の意味は、国語辞典によりますと、「考えて処置すること」です。そこ…
身心一如 / 道元 私たちは心だけで生きているわけでないでもないし、肉体だけで生きているわけでもありません。「こころ」と「からだ」は、一つになった「いのち」として生きています。 身体に無理をかけていると、やがて心にも不都合が現れます。心に迷いを…
自然法爾(じねんほうに) / 親鸞 親鸞が八六歳のときに書いた書簡にあるのがこの言葉です。 自然とは、おのずからそのまま、そして法爾もまた、おのずからそのままです。つまり、「こうでなければいけない」「こうしたい」という人間としてのはからいをやめ…
莫妄想(まくもうぞう) / 無業 人は明日のことを思って不安に心を乱したり、過去のことを思ってクヨクヨします。 しかしどれだけ悩んでも、答えが出てくるわけでもありません、いくら考えてもわからないことを考えること、それが妄想です。そうした妄想を考…
自分を苦しめず、また他人を害しないような言葉のみを語れ / ウダーナヴァルガ 人間関係に上手な言葉は必要ありません。大切なのは「うまく話す」ことではなく「やさしく話す」ということです。 「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。人は悪…
平常心是れ道 / 無門関 「道とはいかなるものですか」 弟子の趙州(ちょうしゅう)に聞かれた南泉禅師が答えたのがこの言葉です。平常心こそが道であるということですね。ただこれは、平常心を保つように努力せよということではありません。もし求めたりすれ…