お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

The World of a Child of Two(2歳の世界)

過日、山口県の山中で2歳0カ月の男児が行方不明になり、3日後に曾祖父宅近くから約560メートル離れた山中の沢で無事保護されるというできごとがありました。 連日の猛暑の中で起きたことです。幼児であるだけに、なぜ熱中症になることもなく、また、なぜ体力…

Question toward Life Itself(人生そのものの問い)

日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れた時、自分や家族が大きな病気になった時、身近な方がなくなった時、「人生そのものの問い」が起こる。「いったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」。 この問いには、人間の知識は答えを示せず、積み…

Unexpectedly( ふいっと )

ここで確認したいことは、教育が人知における同質的な変化、つまり人知の延長で何かがわかること(知識の吸収や創出)であるのに対し、仏の教化に浴することは、人智とまったく異質な仏智にふれることですから、実際の体験としてかならず人知からの飛躍がと…

To leave Oneself to Decree(天命に安んじて)

よく知られたフレーズ、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を福沢諭吉<思想家・教育家(1834〜1901)>も用いています。これを清沢満之<浄土真宗大谷派の僧侶(1863〜1903)>は、「天命に安んじて人事を尽くす」と言い換えました。同時代に生きた二…

Notice Boards of Temples(お寺の掲示板)

「おまえも死ぬぞ」響く金言、お寺の掲示板に熱視線 短い言葉で仏教の教えや人生訓などを伝えるお寺の掲示板が各地で注目を集めている。生や死への鋭い洞察にハッとしたり、温かなメッセージに和んだり。SNSでは、お寺の掲示板を投稿してもらう「輝け!お寺…

Meeting Up with the Cicada(蝉との出会い)

今夏は猛暑続きで、「危険な暑さ」という言葉もしばしば使われているほどです。そのような中、どうしても避けられない用事があり、先日徒歩で出かけたことがありました。帰りが昼頃と重なり、太陽はほぼ頭の真上にあり、日陰の少なさが恨めしく思われたほど…

Being Wished and Allowed(願われて、許されて)

願われていた私 赦されて生きていた私 (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<8月の言葉>より 私は誰に願われ、そして誰に赦されて生きていたのでしょう。言うまでもなく、阿弥陀さまに、です。これは、人間としてこの世に生を受…