お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を唱えないのか?

浄土真宗では「読経」を、功績を積むためのものではなく、信心をいただいた者が「仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)」すなわち仏さまの救いに感謝し、讃(たた)えるために行うものとする。 しかし『般若心経』には、ご本願も念仏も、阿弥陀仏のことも説かれてい…

念仏は称えれば称えるほど救われるのか?

法然の弟子には、その専修念仏の教えを、量が大切な問題だと受けとめる弟子が多くいる中で、親鸞は念仏は質が問題だと明らかにしたといえる。 その質とは、法然の主張した念仏の真意は、信心を伴う念仏こそがまことの念仏だと理解したことである。 【 『ここ…

「乃至(ないし)十念」の意味

阿弥陀仏は四十八願を立てられました。法然上人は、この四十八の誓願の中で「第十八の願」を本願中の王であると言われました。(『浄土真宗聖典』補注P.1572) 第十八願の文はこのようです。「たといわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、我が国に…

神棚を置かないのはなぜか?

諸神・諸仏・諸菩薩をかろしむべからず。(「御文」) 浄土真宗は、阿弥陀如来一仏を本尊とするので、他の神仏をたのむ必要はない。よって、阿弥陀如来を安置する御内仏(おないぶつ)があれば、神棚もまた必要がないこととなる。 しかし、阿弥陀如来一仏の…

仏壇に故人の写真を飾ってはいけないのはなぜか?

浄土真宗の仏壇「御内仏」は、阿弥陀如来の極楽浄土を表現した空間であり、本尊は阿弥陀如来一仏である。それ故、私たちは内仏の阿弥陀如来を拝み念仏を称えるはずなのに、故人の写真を拝み、手を合わせて念仏してしまうことになる。 このように合掌礼拝対象…

浄土真宗は現世より死後のことを問題にしている?

逆である。死後よりも、現世を重視している。現世において、まことの仏道を完成するか、それとも、仏法との出遇いなく、虚しく過ごすかを問いにしたのが親鸞だ。私たちが仏道を実践できるのは、この娑婆といわれる現世だ。生活の中で、称名念仏を中心として…

真宗が祈祷を否定する訳 ( The Reason Why the Shin Buddhism Deny Player )

「祈る」のは、私たち凡夫の心である。私たち凡夫の祈りは、私たちの欲望の心、自己中心的な思い、自己愛がまざりあって生まれてくるものである。 そのような欲望から離れ、さとりをひらき仏となるようにというのが、仏の祈り(願い)である。祈りの中にある…

真宗と浄土宗の教えの違い

まず前提として、祖師親鸞聖人にとっては、法然上人が説かれた教え(浄土宗)が、そのまま浄土真宗であったことは、親鸞聖人の残された言葉から明確である。 しかし、現在の浄土宗と浄土真宗との間に種々の相違点が見られることも事実である。例えば増上寺に…