2015-01-01から1年間の記事一覧
この一年を振り返ってみると、いろんなことがありましたが、私の中では特に、二つのことが気になりました。 一つは、気象に関することです。「降れば必ず土砂降り」という諺がありますが、昨今は、「土砂降り」が「豪雨」に変わった感さえします。そして、豪…
生きる(2) 核家族化が進み、家族の死に立ち会うことも少なくなり、自分たちの周りから死が遠ざかり、今生きていることの不思議さを忘れています。 今日、生きることの難しさはだれしも知ってはいますが、死ぬことの難しさが身にしみることは忘れています。…
生きる(1) 当たり前と思っていたことが、本当に有り難いことと知らされます。 あなたは、生まれた時のことを覚えていますか? この問いに答えられる人は、いません。そして、生まれてから1年も2年も、お口と下の世話になり放題になっておりました。その赤…
生活の中で念仏するのでなく 念仏の上に生活がいとなまれる(和田稠) (We do not say the Nembutsu as a mere routine in our lives, but rather, we live our lives centered on the nembutsu.) <2015年カレンダー(12月の言葉・英訳つき)より> 上の文…
今年9月に発生した関東・東北豪雨により、今もなお多くの人々が、避難所での生活を余儀なくされています。最近、テレビで、そこに住む一人の人が言っていました。「家が流された時は、割り箸ひとつなかったんですよ」。 この言葉を聞いた時、「ハッ」としま…
前回に引き続き、吉沢久子さん(生活評論家)は、次のように話しています。「病気になったら、弧独死したら…..。そんな不安を口にする方もいらっしゃいます。でも、私、そのへんはサバサバしているんです。生きていれば、やがて死ぬのは当たり前。たくさんの…
生活評論家の吉沢久子さん(97歳)は、『PHP』誌の特集「インタビュー」の中で話しています。「知人にも、『どうせ一人だから』と、鍋から直接おかずを食べたという人がいました。後で『それをやったらおしまいね』と笑っていましたけど。そうやって生活を投…
『大無量寿経』上巻には、「正覚大音 響流十方」(正覚の大音、響き十方に流る)と書かれています。このことについて、住岡夜晃氏(1895〜1949・宗教家)は、『住岡夜晃選集』第二巻の中で、次のように述べています。「如来の正覚は説法の大音となって十方世…
千の風になって 原詩(英語)作詞:不詳 日本語作詞・作曲:新井満 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤの…
順彼仏願故(かの仏の願に順ずるがゆえに)(善導大師) (『註釈版聖典(七祖篇)』四六三頁) (略) 隋・唐の時代は、中国では仏教の全盛期でしたが、念仏の教えについて、必ずしも正しく理解されていなかったのです。 天台大師智邈(ちぎ)などは、念仏…
われこの利を見るがゆえに、この言を説く(『仏説阿弥陀経』) (『註釈版聖典』一二五頁) (略) 「我見是利、故説此言(われこの利を見るがゆえに、この言を説く)」と、お釈迦さまご自身が念仏往生の働きを目のあたりにしたからこそ、この阿弥陀経のご説…
ある日の早朝、ウォーキングの途中に、大通りの信号機のある交差点に行き着いた時のことです。道幅は、中央分離帯を挟んで上り下り3車線ずつの、かなり広い道路です。日中は交通の激しい道路ですが、早朝はほとんど車の往来はなく静かです。ちょうど信号が赤…
月といえば、仲秋の名月に代表されるように、秋の月は特にきれいに感じます。でも、季節を問わず、丸い月や、半月、三日月など、日中でもうっすらと空に出ている淡い月を見つけると、「あっ、月!」と、思わず心が高揚するものです。それに、子どもの頃は、…
かの有名なイソップ物語の話の一つに、“アリとキリギリス”の寓話があります。その概略は次のようです。 「アリは、夏の間ずっと、冬に備えて食糧を蓄えるために一生懸命働きました。そのため、遊んでいる暇はほとんどありませんでした。一方、キリギリスは、…
また、親鸞聖人の左訓には(「摂取不捨」の意味を)、「ひとたびとりて永く捨てぬなり」(『註釈版聖典』五七一頁脚註)ともあります。ひとたび阿弥陀さまの御手(みて)に抱かれた者は、ずっと捨てられることはないのです。私たちは、いつ、どのような状況…
親鸞聖人は…… 「摂取不捨(摂取してすてたまわず)」の語に、阿弥陀仏だけの特別な意義をご覧になり、国宝本『浄土和讃』には、この語の意味を、聖人ご自身による註記(左訓)として記しておられます。 それによれば、「ものの逃ぐるを追はへるとなり」(『…
時間・空間を超えた阿弥陀如来の光明は、どこからどこまで照らすという辺際がないために「無辺光」と呼ばれます。壁を作らず、境界線を引かず、一切を遍(あまね)く照らしてくれます。光明に照らされるとは、決して捨てないという阿弥陀如来の大慈悲のうち…
次の文は、某紙読者欄に掲載された、ある男性(96歳)の投稿文です。 「………………. (余命)2,3年だと言われた私だが、肺と心臓に病を抱えながらも96歳の誕生日を迎えた。…………….. 生きている者は必ず死ぬ。これを決定するのは、目に見えぬ無限大の力の働きだと…
「私は、ブッダの教えを心から信じており、もしそれを知ることがなければ、今日の自分も家族の安泰もなかったし、将来もないと確信しています。ブッダの教えが恐ろしいくらい真実であることを知り、大乗仏教の教えによって生かしてもらっているという心境に…
草むらに咲く赤や青い花も、家々の庭に咲く黄色や白い花も、いろいろの表情を見せ、どの花も甲乙つけがたい美しさがあります。花の美しさの秘密は、ただ無心に咲くこと、つまり無心さにあると言われます。他の花に気をかけることもなく、また、他の花に惑わ…
八月も終わりに近づき、夏の終わりに鳴く蝉、ツクツクボウシの鳴き声がひときわ大きく響きます。また、いつの間にか、コオロギを初めとする虫たちの声が、あちこちの草むらを埋め尽くしつつあります。ずいぶん多いようですが、一体何種類の虫が鳴いているの…
無明(煩悩)の私から自由になれる世界が一つだけあります。それが阿弥陀さまのはたらきです。例えば、ここに船があり、煩悩という荷物を積んで航海しています。船長は私で、何とか岸に着こうと一生懸命舵を取ります。ところが、荷物である煩悩はだんだん増…
わがあとは称名ある処(ところ)すなわちわがあとなり(法然聖人) ( Where there is a nembutsu; where I am. ) 『空善聞書』五十六条(『浄土真宗聖典全書五』六六一頁) (略) 「法然上人の仰(おおせ)に、わが菩提所(ぼだいしょ)をつくるまじき、わ…
世語(せご)を欣(ねが)はず、楽(ねが)ひ正論(しょうろん)にあり (『注釈版聖典』五一頁) (The bodhisattvas do not relish worldly talk, seeking only right speech. ) (省略) このお言葉に出あうと、私はいつも、『御伝鈔』に記された親鸞聖人…
人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る ( Those who think on Amida Buddha’s immeasurable power and virtues immediately enter the stage of the definitely settled. ) (龍樹菩薩)(『注釈版聖典(七祖篇)』十六頁) (省略) 龍樹菩…
「光陰矢の如し」とはいいますが、月日があっという間に過ぎて行きます。日々の過ぎ去るのは早いけれど、改めて、この世で速いものは何かと少し考えてみました。まず光が思い浮かびます。次いで音やロケット、新幹線、突風、稲妻、矢、うわさ、悪事などが思…
「蟪姑(けいこ)は春秋を識(し)らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。(曇鸞大師) (『注釈版聖典(七祖篇)』九八頁) (省略) 「蟪姑」とは、セミのことです。 (省略) 夏の間しか生きていないセミは、当然…
家のミニ畑で作っているトマトやキュウリ、ピーマンなどの夏野菜が、今、最盛期です。特に、今年初めて植えてみたミニトマトの出来ばえは上々で、背丈も伸びて、それぞれの房に鈴なりに並んでついている粒は、太陽の光に艶々と輝き感動ものです。 これら野菜…
我が家のフェンスには、よく小鳥が来て止まります。とても愛らしくて、ずっと見ていたいと思うのですが、残念ながら、あっという間に飛んでいってしまいます。それにしても、小鳥たちは止まっているほんの少しの間もじっとしていることがないようです。気ぜ…
子供の頃の忘れられない思い出の一つに、鳥のように空を飛べたらどんなにいいだろうと真剣に思ったことがあります。その思いが高じてか、空を飛ぶ夢を見たことがありました。とは言っても、その飛び方は、鳥のように羽を広げてサァーッと飛ぶというのではな…