2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞聖人は仰せになる。 他力というは如来の本願力なり 他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきであり、これを他力本願という。他力本願は、如来から私に向けられたはたらきであって、自分の望みを他人にまかせることではない。 阿弥陀如来は四十八の願いを発…
「他力本願」の意味を『広辞苑』にはこのように書かれています。 ① 阿弥陀仏の本願。また、衆生がそれに頼って成仏を願うこと。 ② 転じて、もっぱら他人の力をあてにすること。 「他力本願」は仏教用語ですから、浄土真宗では②の意味でこの語を使うことを誤…
阿弥陀如来がさとりを開く前、法蔵菩薩であったとき、すべてのものをすくうため、限りない光と寿(いのち)をそなえた仏になろうと誓われた。そして果てしない修行の末に、その願いを成就して、如来となられた。 阿弥陀とは無量をあらわす。阿弥陀如来は、そ…
あらゆる者を救いとる教えこそ真実の教え、究極の教えである。 親鸞聖人は仰せになる。 それ真実の教(きょう)を顕(あらわ)さば すなわち『大無量寿経』これなり 『大無量寿経』には、あらゆる人を念仏一つで救おうと誓われた、阿弥陀如来の本願が説かれ…
親による児童虐待事件はよく聞く話です。ついこの前も3、4歳の頃、母親から虐待を受けたある女性(44)の話が朝日新聞に出ていました。内容は次のようです。 「女性は、当時いろいろの決まり事を母から課せられ、それが出来なかった時は、たたかれたり、蹴ら…
親鸞聖人は仰せになる。 凡夫というは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおおく いかり はらだち そねみ ねたむこころおおくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず 凡夫は、命終るその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う…
こころを育てる畑を荒らさないように (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<9月の言葉>より 心を育てる畑、すなわち心を豊かにし、人間らしい人に成長させるものと考えますと、芸術や学問、活動、興味などといった様々な分野、領…