お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

In a Dense Fog(濃霧の中で)

 数日前の早朝、その日はとても霧の濃い日でした。いつも通り、いつもの公園(標高約60m)にウォーキングに出かけたのですが、公園全体がすっぽりと霧に覆われ、6〜7m先が見えないぐらいでした。突然ウォーキング中の人が、もやの中からボーッと現れるという、どこか別世界に引き込まれてしまったような感じでした。早起きの得意な小鳥たちのさえずりさえ聞こえず、小鳥たちにはまだ夜明けの感覚さえなかったのかもしれません。    


 霧と言えば思い出すのは、4年前の夏、青森県八甲田山(1585m)で、ロープウェイに乗ったときのことです。その日はロープウェイの終点、山頂公園駅(標高1324m)は、非常に濃い霧が立ちこめ、視界は3mほどといった状況でした。霧がなければ、青森市のすばらしい眺めが一望できたはずでしたが……。でも、それに引きかえ味わった濃霧の中での不思議な感覚は、まるで仙人にでもなったような気分で、忘れがたい思い出として残っています。                                      


 あのときの仙人気分が先日の公園でのウォーキング中に蘇り、比叡山の山中で同じような霧の中で修行されたこともあったであろう酒井雄哉氏(千日回峰行を二度達成)のことや、800年前、同じく比叡山に籠って20年間修行された親鸞聖人のことが脳裏に浮かびました。親鸞聖人や酒井氏のような修行者にとっては、濃霧は修行の障害でこそあれ、優美に感じることなんて到底なかったでしょう。                         


 言うまでもありませんが、親鸞聖人は修行によって仏の悟りを開く難行道に見切りをつけ、阿弥陀如来の願力によって助かる易行道、浄土真宗を開いてくださいました。そして私は今、その恩恵を被っています。                          
 お陰さまでウォーキング中は、濃霧を障害と感じるどころか、非日常的な幽玄の世界に遊んでいるように感じたのでした。                          


 立場が変われば、人の物の見方は180度変わるものです。霧に覆われた世界を楽しみながら、そんなことを何となく思ったひとときでした。( Our viewpoints will do an
about-face when our standpoints change. Such a notion somehow crossed my mind
while I was enjoying a fog-draped world. )


※参照 http://d.hatena.ne.jp/miko415/20170204 (修行 ②)