The Meaning of Namu-amida-butsu(南無阿弥陀仏ということ)
帖外御文第111通
南無阿弥陀仏の六字の意味は、すべての人びとがはじめて往生を願うということです。そこで、「南無」の二字は、「み仏のはたらきにより今を生きぬき永遠の命をいただきます」と、阿弥陀さまに心からお従いするという意味です。また、「阿弥陀仏」の四字は、お従いするわたくしどもを漏らさずお救いくださるという意味です。これが南無阿弥陀仏であるとご承知ください。あなかしこ、あなかしこ。
極楽は 日に日に近く なりにけり
あわれうれしき 老いのくれかな
(極楽に往生できるときが、日に日に近づいてきました。ああ、なんと嬉しい老いの境涯でしょうか)
たのめとの 教えの法に ひかれつつ
弥陀たのむ身と なれるうれしさ
(阿弥陀仏にお従いせよ、というみ教えに引かれつつ、阿弥陀さまにお従いする身となったことの、なんと嬉しいことでしょうか)
【「蓮如の手紙」(お文・ご文章 現代語訳) 浅井成海 監修】
文中の歌を読むと、何とも心が晴れ晴れします。蓮如上人と嬉しさを共有できる喜びは格別です。
What “ Namu-amida-butsu ” means:
“ Namu ” , which is written in the two Chinese characters, means that one takes
refuge in Amida Buddha. “Amida-butsu”, which is written in the four Chinese
characters, means that Amida Buddha never fails to save one.
My impressions:
These two Japanese poems in the sentences above make me cheerful. The pleasure I can share with Saint Rennyo is all the more great.